鉢呂前経産相の「死の町」発言が話題になったとき、何気なくまずいのではないかと思った。
辞任にいたっても、やむをえないのではと思ったのだが・・・

 人っ子一人いないから原発周辺が死の町に見えたのは事実・・・その発言を地元の人がどう感じるかは、やはり傷つきそうに思う。特に早く帰りたいと待ち望んでいる方たちは。

 でも降り注いだ膨大な放射生物質から考えて、住民が帰って住むことが可能なのか。高度に汚染された場所には、絶対人が住めない場所がたくさんあるはず。それをはっきりさせて、帰れない領域を科学的に算定し、避難している人たちに知らせることこそが急務。
人が安全に暮らせない場所=死の町をつくり、国民の、次世代の健康をまもることこそが大事だと思う。

9月30日朝日朝刊、池上彰の新聞ななめ読みから
 鉢呂発言を受けたマスコミがすべきなのは
「人が住めるようになるのはいつか、もし住める展望がないなら、それを住民に告げるべきではないか」 との問いを政治家や行政に投げかけるべきではないか。

 この通りだと思う。今誰も、永遠に住めない場所が、住まない方がよい場所があること、それがどの程度以上汚染された場所かということを言っていない。

 すべての町を除染(=放射性物質の移動=同量の汚染)することはできない。強制避難地区を国が買い上げ、除染した放射性物質を原発周辺に安全に閉じ込める、立ち入り禁止の「死の町」をつくる以外に、国民の健康を守る方法はない。
 放射性物質を十分監視しながら、自然エネルギー拠点を作ることもできるかもしれない。

 一番重要なことを誰も言わない、いえない状況は、今後の放射能によるがん患者の増大、次世代の悲惨につながろことを危惧する。
2011.09.30 Fri l 政治 l コメント (2) トラックバック (0) l top
 最近の政治とマスコミの動きを見ていて、”福島再び”に直進しているように見える。
事故以来の私の最大のテーマは”ノーモア福島”だったのに

今朝の新聞を読んで、事故調査・検証委員会(政府事故調)が本格的な的な議論をするため会合を非公開にする」とあった。今年末の中間報告まで調査経過も公表しない予定と・・・  日経2011.9.26

政府や東電関係者200-300人から聞き取りを進めているが、第一原発吉田所長以外は名前を明かさない約束という。驚き!!

調査を待つまでもなく、事故の責任は東電の清水社長、武藤副社長が握っていたはず。その犯人たちは事態を説明することなく黙秘を通して、早々と退任してしまっている。
それら責任者の名前も伏せて、どうして事故原因を調査・検証できるのか?

福島原発の事故を最小限にとどめるべく最大の努力をして首都圏を守った管さんは、原発対応が悪いと退陣の追い込まれ
原発の海水注入停止の命令を振り切って事故の悪化を阻止し、冷温停止への困難な道のりを現場に留まって陣頭指揮されている吉田所長のみをまるで全責任者のような取扱い・・・・

事故調の結果が目に見える
日本を守ってくれた功績者に責任を押し付けていては
いつか来た道、福島にきっとなってしまう!!

腹が立って腹が立って、怒り狂った一日でした。。

2011.09.26 Mon l 原発事故 l コメント (0) トラックバック (0) l top
小泉元首相:自然エネ開発で「脱原発依存」が毎日新聞に報道されていた。
毎日新聞 2011年9月18日 より

原発事故の最大の原因は、安全性を無視して原発推進を推し進めてきた歴代自民党の政策にある。
にもかかわらず、民主党を非難するだけで反省のかけらもない情けない自民党よ!!
国土が壊滅するという危機と認識できずにいるばか自民党政治家と比べて
考えを変える小泉さんはえらい!!
首相在任中も辞めてからも小泉さんを支持してこなかったものですが・・・・

小泉純一郎元首相は18日、川崎市内で講演し「原発建設の費用を自然エネルギーの開発に使い、原発依存度を引き下げるべきだ」と述べ、「脱原発依存」を訴えた。

また、「高レベル放射性廃棄物の処分に膨大な費用と数万年単位の時間がかかる」と指摘し、「原発は低コスト」としている政府の説明にも疑問を呈した。

【高橋直純】
2011.09.20 Tue l 政治 l コメント (2) トラックバック (0) l top
 東京電力福島第一原発1号機の格納容器の圧力を下げることができなかった場合に発生が想定される事象として、原子力安全・保安院が、敷地境界での被曝(ひばく)線量が「数シーベルト以上」に達すると見込んでいたことが、情報公開法に基づき開示された同院の内部文書で分かった。

7シーベルトが全身被曝の致死量と言われており、敷地内では人が生きていられない状況になる可能性が政府部内で検討されていたことになる。
asahi.comより

 この文書は「1号機において耐圧ベントができない場合に想定される事象について(案)」と題され、保安院が3月12日午後1時ごろに作成した。

 原子力安全・保安院で作成されていたが、これが官邸に報告されたか、政府部内で検討されたかどうかは別問題。 炉心溶融予測、放射能拡散予測も官邸にきちっと報告されていない例もある。
natureflow記
 

 当時、1号機の格納容器の内部の圧力は750キロパスカルで、設計上の使用圧力を大きく超えていた。格納容器の破裂を防ぐため、東電は午前中から、内部のガスを外部に放出する「ベント」と呼ばれる作業を始めたが、弁を開けるのに手間取っていた。

 保安院の文書は「ベントができない状態が継続する場合、約10時間後(午後11時)に大量の放射性物質が放出される」「気象条件によっては、発電所から3~5キロの範囲において著しい公衆被ばくのおそれがある」としている。
2011.09.19 Mon l 原発事故 l コメント (0) トラックバック (0) l top
菅前首相インタビュー要旨 時事通信
 菅直人前首相のインタビューの要旨は次の通り。
 -東京電力福島第1原発事故では全電源が喪失した。
 全電源喪失が何を意味するかは私なりに理解していた。原子炉の冷却機能が停止し、メルトダウンにつながる重大な危機と分かっていたので、大変な事故が発生したというのが最初の印象だ。

 -ベントをめぐる東電と政府の連携の悪さが指摘された。
 早い段階から東電の責任者に首相官邸の危機管理センターに来てもらい、海江田万里経済産業相(当時)、原子力安全・保安院、原子力安全委員会の責任者が状況把握に努める中、格納容器の圧力が上がっているからベントが必要だという意見では、関係者は全員一致していた。

 だから東電の責任者に「それでいきましょう」というと「分かりました」とのことになったが、しばらくして「どうなりましたか」と聞くと「まだやれていません」という繰り返しだった。現地を含めた東電社内の意思決定の問題なのか、技術的な問題なのか、その原因はよく分からない。

 いずれにせよ現地とコミュニケーションができないと物事は進まない。それが3月12日に(自らが)第1原発に行く最大の要因だった。そして吉田昌郎所長と会って直接状況を聞き、話をすることができた。ここでやっとコミュニケーションのパイプがつながったという思いだった。

 -12日には1号機が水素爆発したが。
 ちょうど野党と党首会談をやっている時だったが、東電からの報告がなかなか上がってこなかった。そもそも水素爆発という認識がなかったからではないか。当時は格納容器内に窒素を充填(じゅうてん)しているから水素爆発は起きないということで、実際そうした説明を聞いていた。後で分かるが、現実にはその時点でメルトダウンを起こして水素が格納容器の外に漏れており、それが爆発を起こすわけだが、東電、保安院、原子力安全委といった原発関係者には当時はそうした判断はなかったと思う。

 -東電は「撤退したい」と言ってきたのか。
 経産相のところに清水正孝社長(当時)が言ってきたと聞いている。経産相が3月15日の午前3時ごろに「東電が現場から撤退したいという話があります」と伝えに来たので、「とんでもない話だ」と思ったから社長を官邸に呼んで、直接聞いた。社長は否定も肯定もしなかった。これでは心配だと思って、政府と東電の統合対策本部をつくり、情報が最も集中し、生の状況が最も早く分かる東電本店に(本部を)置き、経産相、細野豪志首相補佐官(当時)に常駐してもらうことにした。それ以降は情報が非常にスムーズに流れるようになったと思う。

 -3月17日に自衛隊ヘリコプターが上空から原子炉に放水したが。
 日本の最大級の危機に対してしっかり対処していく意思を象徴的に示してくれた場面だった。その後は東京消防庁も頑張ってくれたし、警視庁もやってくれた。いろいろな機関が、危険を乗り越えて行動で示してくれた。そういう意味で重要な行動だったと思う。

 -原発事故は「想定外」の事故と考えるか。
 本来は想定すべきことを考えてこなかったことは否定できない。危険性への対策をするのではなく、危険という議論をいかに抑え込むかをやってきた。原子力の安全神話は、「生まれた」のではなく「つくられた」と思う。そういう意味では人災だと言わざるを得ない。

 -避難区域を半径3キロ、10キロ、20キロと拡大させた対応について。
 複数の原子炉がシビア・アクシデントを起こした経験はどこの国にもない。夜中に、機械的にやっても逃げられるのか。一軒一軒の戸をたたいて、誰が起こすのか。逃げられるような段取りを含め、結果として段階的に広げた。間違っていたとは思わない。

 -3月16日に「東日本がつぶれる」と発言したと伝えられた。
 そんなことは言っていない。最悪のことから考え、シミュレーションはした。(東電が)撤退して六つの原子炉と七つの核燃料プールがそのまま放置されたら、放射能が放出され、200キロも300キロも広がる。いろいろなことをいろいろな人に調べさせた。全て十分だったとは思わない。正解もない。初めから避難区域を500キロにすれば、5000万人くらいが逃げなければならない。高齢者の施設、病院もあり、それも含めて考えれば、当時の判断として適切だと思う。

 -中部電力浜岡原発に停止要請した経緯は。
 経産相が止めた方がいいと意見具申してくれた。マグニチュード(M)8程度の東海地震が87%の確率で30年以内に起きるという指摘があった。そうなったときに福島第1のようにならないように、という判断を経産相がして、私も同意見だった。地震の可能性が突出して高いということで他の原発とは別次元だった。その後、九州電力玄海原発再稼働の問題が起こる。

 基本的に私が言った考え方は一つだけ。つまり、保安院だけで追加の安全措置を「こうしてください」、「はい結構です」と合格点を出すのはおかしい。今の法律がそうなっているからといって、保安院だけで判断したら国民は納得しない。それで、原子力安全委員会を関与させ、国際原子力機関(IAEA)の考え方を取り入れたストレステスト(耐性評価)の話になっていった。

 -7月に「脱原発依存」を宣言した背景は。
 3月11日以前は安全を確認し、それを踏まえ原子力を活用するという姿勢だった。しかし3月11日を経験し、本当に最悪の事態を想定したら、そのリスクをどれだけの安全性の考え方でカバーできるのか。車なら一度の事故で亡くなるといってもそう多くはないが、原発事故では最悪、国が広範囲に汚染され、国としての機能が動かなくなる。一番の安全性は原発依存から脱却することだ。それが私の結論で、7月に私なりの考え方を言うと同時に、政策的にも「エネルギー・環境会議」で原発依存の低減という方向性を出した。

 -保安院を経産省から分離する閣議決定を8月に行った。原子力行政の見直しは進んだか。
 かなりやったと思っている。保安院が(原発)推進官庁の経産省の中にあって(原発政策をめぐる)「やらせ」まであった。誰の目から見ても経産省の中に置いておくわけにはいかなかった。6月末に(細野)原発事故担当相を置いたのが大きかった。野田佳彦首相も細野担当相を留任させ、その方向を進めている。もう逆行することはないと確信している。

 -野田首相は菅氏ほど「脱原発」を鮮明にしていない。
 原子力への依存を低減させていくというのは、言い方の強弱は別として、私の内閣のときのエネルギー・環境会議の表現とほぼ同じで、踏襲されている。それよりも先のことは国民の選択だ。

 -退陣直前の8月27日に福島県の佐藤雄平知事に「中間貯蔵施設」の県内設置を要請した。
 (放射能の)除染を進めているが、一方でかなり長期間、帰ってもらうことが不可能な地域もある。それについては3月11日の時点で責任者だった私が、厳しいことも含め、申し訳ないがこういう状況だと伝えておくことが必要だと(判断した)。併せて、帰るときには除染が必要で、除染した土などは中間貯蔵という形で福島県内にためておく必要があるということも理解を求めたいと思った。

 -核燃料サイクルはどうすべきか。
 個人的考えを言えば、液体ナトリウムを(冷却剤として)使った高速増殖炉はほとんどの国が撤退していて、難しい技術だ。これが本当にできるかを含め、本格的な見直しの時期ではないか。最終処分の問題も、世界中で方向性が定まっていない。まさに今、考える必要がある。

 -今後の活動は。
 大きな事故を体験した責任者として、原発に依存しない社会の実現に向け、再生可能エネルギーの促進などに積極的に役割を果たしていくべきだと感じている。(2011/09/17-19:58)
2011.09.19 Mon l 原発事故 l コメント (0) トラックバック (0) l top
東電原発事故手順書「黒塗り」で衆院に提出をよんで  朝日新聞9月13日版より

 東京電力福島第一原発の事故調査を行っている衆議院の特別委員会の求めに応じて提出したのは、内容のほとんどを黒く塗りつぶしたもの。委員会は、経済産業大臣に対し、東京電力に原本のままの提出を命じるよう求めた。

 開示した資料は「1号機運転操作手順書(シビアアクシデント)」の表紙と目次で、目次の序文など50行のうち48行が黒塗りにされ、読めたのは「消火系」「不活性ガス」のみ。

 東電の松本純一原子力立地本部長代理は、大半を非開示にした理由は
「手順書は社内の文書なので一般公開するものでない。知的財産、核物質防護上の面もある」

 電力供給を地域独占し、原発で多いに儲け、地震津波に対する安全性確保を怠り、核物質を国土に広範囲にまき散らした会社が、どのように事故に至ったかの解明を拒否し、シビアアクシデント手順書も隠す。日本を壊滅させるような事故を起こした反省の一片もない。
 普通ならば東京地検特捜部が捜査に入り、全資料を確保し、トップを逮捕し、刑事責任を追求するはずのことなのに、この国はいったいどうなっているの?

黒塗りの東京電力に原発を運転する資格はない。原発事故は起こるべくして起こったのだ!! 
2011.09.18 Sun l 原発事故 l コメント (0) トラックバック (0) l top
2号機「4時間早い注水で溶融回避の可能性」
の報道があった。

2011年09月15日 (木) NHK科学文化部ブログより転載


 東京電力福島第一原子力発電所の事故では1号機から3号機で核燃料が溶け落ちるメルトダウンが起きましたが、このうち大量の放射性物質の放出につながった2号機のメルトダウンは、実際より4時間早く水の注入を始めていれば防げた可能性のあることが分かった。

 福島第一原発では、3月11日から14日にかけていずれも冷却機能を失って1号機、3号機、2号機の順にメルトダウンし、このうち2号機では、15日朝に起きた爆発で大量の放射性物質が放出され、放射能汚染が広がる大きな原因となりました。日本原子力研究開発機構は、2号機の原子炉の状態をコンピューターで再現し、メルトダウンを防ぐ手立てはなかったか調べました。



 実際の2号機の対応では、14日に水の注入のため原子炉の圧力を下げたあと午後8時ごろに水を入れ始めたとされている。解析では、午後4時半以降に圧力を下げて水を入れた場合、温度はいったん下がるが、すでに原子炉の水位が大幅に低下しているため温度が上昇に転じ、メルトダウンに至る。
 しかし、圧力を下げる作業をもっと早く始めて午後4時ごろまでに水の注入を始めた場合、燃料の表面温度は被覆管が壊れる1200度に達する前に下がりはじめ、メルトダウンを防げた可能性があるという解析結果となっている。

 東京電力の当時の対応では、2号機の周辺に消防車を配置して注水の準備を整えていたが、3号機の水素爆発によって消防車が壊れるなどして水の注入のための作業開始に時間がかかっていた。東京電力は「放射線量が高いなど非常に厳しい環境下で懸命の作業を行ったもので、注水作業が遅れたとは考えていない」としている。

 解析を行った原子力機構の平野雅司安全研究センター長は「2号機は3日間、原子炉の冷却が続いていたので時間的に余裕があり、燃料の損傷を避けられた可能性が十分にある。困難はあってもなぜ速やかに原子炉に水を入れられなかったのか、運転員の行動や水を入れる準備の状況が事故調査の重要なポイントになる」と話している。

 全電源喪失というありえないことを招いたこと、1・2・3・4号機同時にトラブルが発生したこと、対応できるスタッフが十分に準備されていなかったこと、今もって多くの情報が開示されていないこと・・・・
東京電力には原発を運転する資格がなかった、今もってない、これが教訓です。
東電は直ちに原発を止めよ!!
2011.09.17 Sat l 原発事故 l コメント (0) トラックバック (0) l top
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福島原発事故で放出された放射性物質資料

除染という言葉がよく出てくる。
広辞苑にはこの言葉は出ていない。最近作られた言葉なんだろうか?

9.15の朝日新聞 
「除染福島全土の14%、1億立方㍍(ドームの80杯)、中間貯蔵施設費用80兆円」
とあった。

事故で放出された放射性物質の除染という表現からみると ”除染=汚染を取り除く”
でも放射性物質は取り除くことは出来ない。移動することが出来るだけ。

放射性物質を移動して"より安全な場所"と"より危険な高い放射能の場所”をつくることができるだけ。
"除染"によって別の場所の"汚染=汚染の集積"が同じだけ発生する。
であるのに除染という言葉を使い、それが可能であると思わせる言葉はどこで作られたのか。

集めた放射性物質を生活環境から取り除くことは出来ないのに。

「除染ノウハウ、環境省ない」 東大・児玉教授が指摘]asahi.comより
 福島県南相馬市で放射性物質を取り除く除染作業に取り組む児玉龍彦・東大教授が14日、超党派の勉強会で講演し、政府内で除染の事業を主導する環境省について「ノウハウが全くない」と指摘。「民間の専門家による第三者委員会を設け、除染の対象や基準を定めるべきだ」と主張した。

 野田政権は除染によって出る放射能汚染の土壌について、各地区ごとの仮置き場に集めてから中間貯蔵施設に移す方針を示している。だが、児玉教授は「中間貯蔵施設に移すことは住民感情からほとんど不可能。その場での処分しか考えられない」と語った。

住民の健康のために頑張っておられる方だけれど、その場での処分が出来ないのが放射性物質なのですが。

原子は不変(不生・不滅)が自然界の第1原理である。中学理科で学ぶ基本中の基本
化学反応は、どれも分子と分子の反応であり、反応の中で個々の原子が変化することはない。

例外は原子核が変化する原子核反応、例えば広島原爆や原子力発電に使われる 
ウラニウム235の核分裂反応では、ヨウ素131、セシウム137、プルトニウム・・・ができる
これらが原発事故で放出されて、放射能を出しながら壊れていく。
でも人間は、放射能が半分になる半減期をコントロールしたり、放射性物質を放射能を出さない物質に変えたりはできない。
2011.09.14 Wed l 放射能・除染 l コメント (0) トラックバック (0) l top
「首都圏壊滅の危機感」菅前首相語る

 3・11に福島第一原発の事故 を聞いた時、瞬間的に首都東京は大丈夫かと思った。
東京都の昼間人口は1300万人を超え、首都圏となると3500万人、これだけが放射能爆発で汚染されたら、日本に避難する場所がない。日本は壊滅する。
娘たち家族、孫たちが暮らしている。

原子力発電が始まった頃から、原発には広島・長崎原爆とは比較にならないほど多量の放射性物質がたまっている。半減期も2万年のものもあり人間と共存できない。と考えていた。

でも日本の原発が事故でメルトダウンするとは想像もしなかった私には、恐ろしい衝撃だった。だからニュース・雑誌・インターネットの情報を調べ、3・11からの切り抜きも保存している。

その中で、菅首相、東京電力、原子力安全保安院、原子力安全委員会・マスコミの報道などを自分なりに読み、事態の本質は何かを探してきた。

その菅前首相が、東京新聞のインタヴューで述べている。ネット上の記事はじきになくなるので要旨を再録する。

 2日に退任した菅直人前首相が5日、本紙の単独インタビューに応じ、東京電力福島第一原発の事故発生当初に原子炉の状態が把握できず、水素爆発が相次ぐ中で「東京に人っ子一人いなくなるような事故に拡大するかもしれない」と、首都圏壊滅の危機感を持ったことを明らかにした。事故の体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えが変わり、7月の「脱原発依存」宣言につながった。

 菅前首相は、事故四日後の三月十五日に東電本店に乗り込んだ理由を「午前三時ごろ、海江田万里経済産業相(当時)から『東電が第一原発から撤退の意向を示している』と言われた」ためと明言。「(第一と第二で)十基の原発と十一個の核燃料プールを放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉とプールの水は空になり、どんどんメルトダウン(炉心溶融)する」との危機感から、本店に政府と東電の対策統合本部を設けたと述べた。

 その上で「撤退したら今ごろ、東京に人っ子一人いなくなっていたかもしれない。まさに日本が国家として成り立つかどうかの瀬戸際だった。(旧ソ連)チェルノブイリ事故の何倍、何十倍の放射性物質が出ていたかもしれない」と説明。こうした体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えを改め、原発に依存しない社会を目指そうと思ったという。

 五月六日に中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の運転停止を要請した理由は「東海地震が発生する確率が非常に高いとの研究結果があり、事故が起きたら完全に東京と大阪の間が遮断されて、日本の経済、社会に極めて大きな影響を及ぼすから」と話した。

 九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働目前に新たな安全検査の導入を決めた理由は「(経産省原子力安全・)保安院は、私の知らないところで、保安院だけで再稼働を判断する従来のやり方を取ろうとした。それでは国民の理解を得られないと言った」と述べ、経産省の対応を批判した。太陽光などの再生可能エネルギーについては「産業的にも可能性があるが、電力業界と経産省が三十年前から抑え込んできた。それをどう突破するか。私も頑張ってやろうと思う」と述べた。

 高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の運転再開や核燃料サイクルは「技術的に極めて難しい。根本的に再検討する時期にある」との見方を示した。(東京新聞 2011.9.6)


3.11以後の菅首相の行動について、周囲の無理解をものともせず、全精力をかけて国民の生命と未来を守るべく努めてきた、そのおかげで東京は福島にならずにすんだと再認識した。
そんな気持ちで働いてきた政治家は、彼をサポートしたごく少数のみ。

原発事故が収束に向かっているという現実、首相の任からはなれたという事がなければ
”首都圏壊滅”という言葉は使えなかっただろう。
ほとんどの国民は ”なぜこんな恐ろしい原発事故がおこり、なかなか収束しないのか!!
これは政府の事故対応が悪いからだ” と思っているから。

国民に訴えるチャンスはいっぱいあったけれど、それを使って国民を味方につけるという
才能はなかったのが残念。

2011.09.12 Mon l 原発事故 l コメント (0) トラックバック (0) l top
自分のHPに綴っていた日々雑記を商業ブログに引越しすることにした。理由は
1.コメントのやり取りなどを通して自分の考えを成長させていける
2.同じ興味を持った人たちとのつながりが持ちたい
3.日本の美しい環境は今危機にある。何ができるか考えを進めたい

2011.3.31記のご挨拶を再録します
日々の思いを綴っていこう

"自分は自然の美しさに触れて充実した日々を送っている、でもこのように安定した生活を
孫たちの世代に残していけるのだろうか"という疑問が大きくなっていたところでした。
若い人たちが仕事に就けない
非正規労働が増えてきている
少子高齢化で若者が少なくなり、高齢者の生活を支えられない
貧富に格差もどんどん大きくなってきている・・・・・

そんなことを思っているとき、3・11巨大地震・津波、続いて原発事故の深刻化
穏やかな老後を送っているだけよいのか、少なくとも自分の考えをしっかり持たねば
そんな気持ちでつたない考えを書いてみようと・・・・
2011.09.12 Mon l その他 l コメント (2) トラックバック (0) l top