日本人の学力が低下したといわれるようになったのはいつからだろう。
それは国際的な学習到達度についてのPISAテストの結果が下がったということがきっかけだったと思う。順位の変遷を見てみると

2000年、2003年、2006年、2009年で
読解力は        8位 → 14位 → 15位 →8位
数学的リテラシーは 1位 → 6位 → 10位 → 9位
科学的リテラシーは 2位 → 2位 →  6位 → 5位

 数学的リテラシーが1位から10位は順位を気にする日本人にとってショックかもしれないが、別に騒ぎ立てるほど学力が低下したわけではない。PISAテストは2000年にスタートしているので、それ以前の学力と比較できるデータもない。

 にも関わらず、子ども・中学・高校生・大学生の学力低下議論がにぎやかになり、ゆとりの中で基礎基本と自ら学ぶ力を育成するという教育が転換した。2008年の学習指導要領の改訂において、小・中学校の教育内容が強化され、国語・社会・算数・理科・体育・外国語の授業時数を10%程度増加、週当たりのコマ数も増加した。

 学力論議の契機になったPISAとは? OECD(経済協力開発機構)は、15歳生徒を対象に学力(学習到達度)に関するPISA調査を3年ごとに行っている。「知識、技能」の習得を問う一般的な「学力テスト」ではない国際的な学力評価として、日本では「新しい学力」の方向として近年注目されてきた。

 PISA調査は、学校のカリキュラムをどの程度習得しているかを評価するものではなく、「知識や経験をもとに、自らの将来の生活に関する課題を積極的に考え、知識や技能を活用する能力があるか」をみるもので、「学校の教科で扱われる知識の習得を超えた部分まで評価しようとする」ものである。つまり、各国のカリキュラムに依存せずに、それを超えて出題される。

OECDのPISA調査(The OECD Programme for International Student Assessment)の公式HPによると
Are students well prepared for future challenges? Can they analyse, reason and communicate effectively? Do they have the capacity to continue learning throughout life? (PISA) answers these questions and more, through its surveys of 15-year-olds in the principal industrialised countries. Every three years, it assesses how far students near the end of compulsory education have acquired some of the knowledge and skills essential for full participation in society.

1.生徒たちは将来へのチャレンジの準備はできているであろうか?
2.物事をを解析したり、因果関係を見つけたり、効果的なコミュニケーションをすることができるだろうか?
3.生涯を通して学び続ける人間として育っているであろうか?
この疑問に答えようとするのがPISAテストである。義務教育終了時点で、社会で役割を果たすために必要な知識とスキルをどの程度身に着けたを測ろうとするものである。

 一般的に学力テストが”単なる知識・技能の習得”を調べようとするのに対して、PISA調査では、習得した知識・技能を、自分のあるいは社会のいろいろな局面で生かして行こうとする姿勢とスキルを調べようとしている。

 選択式・答えを書く・自由記述式問題からなるペーパー調査によって、このような到達度を十分に測れるかどうかは別として、人が学ぶことの目的と方法を踏まえ、学習がいかに人生のチャレンジを助けるかをテストする試みといえよう。

 ”何のために勉強するの?””こんなことを学んで何の役に立つの?”というような児童、生徒の疑問に大人が答えることなく、”学習するのは当然の義務””よい大学に入るため”など、果ては”競争に勝ち抜いてリーダーとして立つ”・・・なで学習を義務付けようとするのみでは、将来をリードする大きい視野を持ったリーダーは育たないだろう。

 日本人生徒の学力は低下したのかどうか、そんなことはわからない。でもPISA調査の相対順位が下がったことについての大人たちの議論は、「自分たちの時代はよく勉強して学力も優れていた。この頃の教育は、ゆとりとか何とか言って、カリキュラムを減らし、そのせいで学力低下を招いた」などなどと・・・・

こんな議論がされるのは、PISA調査の意味目的についての正確な情報を得ようとせず、勝手な判断をする大人たちの学力が低下しているからではないかしら?

 全国一斉学力テストを義務化するか、任意にするか、テスト結果を学校ごとに公表するかどうか、基礎学力だ、百ます計算だ、結果を学校評価、教員評価と連動させる・・・などなど
 
 偏差値万能で個性を摘み取る教育の弊害を忘れたように、多様な児童生徒を学力テスト成績という1つの尺度で評価し、PISA→学力→競争→評価のスパイラルで子どもを疲弊させていく

 さまざまな事情を抱えた一人ひとりの状況を理解し、助け合う力をもったクラスを作っていく本来の教育がお留守になり、数字に右往左往するようになると、PISA調査の意図と正反対の事態に進む危険がある。そんなことをしていると学力テストもPISAテストも落ちていきそう。
 

2011.10.29 Sat l 教育 l コメント (0) トラックバック (0) l top
先回の記事に関して、Diamond online 特別レポートで小澤氏の優れたレポートを見つけたのでエッセンスを引用して考えます。
小澤祥司
環境ジャーナリスト/日本大学生物資源科学部講師
2011年3月以降、飯舘村の汚染調査、住民の支援に取り組む。


はたして放射能汚染地域は除染すれば住めるのか?  

国は避難期間を明示し、移住による生活・コミュニティの再建 をお読みください。

 今回放出された両者の放射能比はほぼ1対1だが、線量率への寄与度は134が137の約2倍あるので、134の放射能が半減する2年を過ぎると線量率は3分の2になる。134の放射能がほぼ無くなり137の放射能が半減する30年後には6分の1~7分に1になると予想される。雨による流出や地下への沈降も考慮すると、10分の1程度には減少するかもしれない。

 それでも現在毎時10マイクロシーベルトの場所は毎時1マイクロシーベルトに留まる。年間の外部被曝量は、ICRP基準で通常時の1ミリシーベルトを大きく超える5ミリシーベルトになってしまう。これでは帰還は短期的には難しいと言わざるを得ない。

 都市部では土に覆われている場所は、公園や道路脇、学校の校庭や人家の庭などに限られる。セシウムは土の表層に留まっているので、5~10cm程度をはがし、また建物や道路、コンクリート表面は洗浄すれば、放射性物質をある程度除去することは可能だ。

 しかし、今回の福島第一原発事故で高濃度に汚染された警戒区域や計画的避難区域は、ほとんどが農山村である。5月に飯舘村では、放射線安全フォーラムというNPOが実験的に高線量地区にある民家の除染を行った。かなり大々的な除染であったが、期待したような結果は得られなかった。もし効果があったとしても、民家敷地だけの除染では、周辺に放射性物質が残ったままで、家の中では暮らせても、農作業を含めて日常的な生活がすぐに営めるようになるとは思えない。

 しかも、現地は農地と森林が一体となった環境である。その森林に降った水を灌漑用水に使っている。セシウムを含む落ち葉も舞い込んで来るであろう。除染は農地と森林をセットで行わなければ意味がない。

 森林の除染は農地よりもやっかいだ。セシウムは葉や樹皮に吸着され、地表では厚く積もった落葉落枝や腐葉土に染み込んで、その下の土壌にまで達しているからだ。確実に除染するには樹木を皆伐し、地表をかなり厚く削り取るしかなかろう。この費用は、農地の数倍かかるだろう。

 さらにこれに除染した土などの処理費用が加わる。居住区・建物の除染を含めて、全体の費用が10兆円を超えると見積もっても大げさではあるまい。しかも除染は確実に農地の質を低下させ、広範囲の森林の皆伐、表土除去は地域生態系に壊滅的影響を与える。 
 帰還が適う日まで一体どれほどの間、待てばいいのか、いま避難住民がいちばん知りたいのはそのことだ。
 国は、警戒区域の一部について避難が長期化することをようやく認めた。しかし、すぐに戻れないのは原発周辺地域ばかりではない。重要なのは、汚染度別に避難期間を明らかにし、避難が中長期に及ぶ地域に関しては移住地を用意し、そこでの生活や仕事の再建の道すじを示すべきだ。移住地で暮らしながら、線量の下がった区域から段階的に帰還する復興プランも必要になる。

 その通りだと思う。チェルノブイリ25年後になお2000kmはなれた英国の羊に”1キログラム当たりの放射性セシウムが1千ベクレル”を越えて出荷できないできないといういう。
帰還が適う日まで一体どれほど待てばいいのかを知らせることは大切。でも帰還が適う日はくるのか?生涯戻れない、戻ってはならないという地域が多くあるはず。


 そのことを早く知らせ、別の地で暮らしていけるよう保障、援助していくのが政府の責務だと思う。そのことを直視すれば、原発事故により放出された放射線物質、汚染土壌、焼却灰などを安全に閉じ込めて管理する最終処分場設置の展望が開ける。





2011.10.24 Mon l 放射能・除染 l コメント (0) トラックバック (0) l top
年1ミリシーベルト以上は除染地域にとの方針が出された。
その結果、国の除染面積が1万3千平方キロ(日本の面積の約3%)となる。

 人が暮らせるように除染の目標を低い放射線量に置くのはいいこと。でも汚染土の仮置き場もほとんど決まらず、そこから移すという「中間貯蔵施設」の設置も見通せないという。

 そもそも「除染」という言葉がおかしい。放射性物質を除くという意味の言葉だけれど、放射線物質を除くことはできない、移動できるだけである。ある場所の放射能が減れば、それだけ別の場所の放射能が増える。

 「除染」は生活空間から放射性物質を除くことだとしたら、汚染土壌は生活空間の外へ移動することになる。
でも日本の中に生活空間でない場所はどこにあるの? 汚染された福島県の6割に当たる8千平方キロの町や農地や森林をを除染してその土壌をどこへ持っていくのだろう?

 こんな基本的なことを認識せずに、有識者会議や政府はいったい何を考えているのか?
除染というときには、「汚染土壌(高放射性物質)をどこからどこへ移動するのか」を同時に考えるべき。当たり前のことが認識されていない。高校生以下の学力!!

 5ミリシーベルト基準で汚染土壌は9千万立法㍍ 費用1兆円~~
 1ミリシーベルトになるとこの7倍?


 環境省は東京電力福島第1原子力発電所事故で飛散した放射性物質の処理について、10日に有識者検討会を開き、基本方針の骨子案をまとめた。
 追加被曝線量が年間1ミリシーベルト以上ある地域を国の責任で除染する。文部科学省の航空機調査では福島県を含め8都県に及ぶ。同20ミリシーベルト以上の地域をできるだけ早く縮小する一方、同20ミリシーベルト未満の地域は2013年8月末までに被曝線量を半減するとした。

 20ミリシーベルト以上の地域が除染によって20ミリ以下になり、20ミリシーベルト未満の地域の放射線量が半減したとして、いったいだれがそこで生活できるというのだろう?

 事故後に原則立ち入りを禁じた警戒区域と放射線量が高い計画的避難区域を国が除染する。同1ミリシーベルト以上の地域は、原則国が財政負担する。これまでは、同5ミリシーベルト以上として自治体が反発していたことを受け、1ミリシーベルトまで除染との方針に。

 警戒区域や計画的避難区域の多くは、人が安心して暮らせる生活空間(1ミリシーベリト以下)には戻らないだろう。その地域に住んでいた人たちを危険な場所に戻すことはできない。すでに多くの、特に子どものいる若い家族は福島を去り、戻らないだろう。他の人たちも、できたら別の安心できる地で暮らしたいと思っているに違いない。

1.福島原発に近い汚染区域を除染しても住める場所にはならない。今後人が住み得ない、住まない方がよい場所は国が買い上げて、その地域の人たちが別の場所で生活できるように十分に補償をすること。

2.原発敷地内、周辺、高度汚染地域で人が住めない場所を国有地として、「最終保管施設」を作り、除染土壌、放射性焼却灰などを集中して、安全に保管する。

3.人が住めなくても新しいエネルギー、メガソーラー、風力・・・などの自然エネルギー開発拠点とすることは可能であろう。


参考新聞 日経2011/10/10 朝日2011/10/11 など
新聞記事の引用は黒字です。
2011.10.21 Fri l 放射能・除染 l コメント (2) トラックバック (0) l top
日本の食品基準は甘すぎ ベラルーシ専門家が批判 
2011.10.12 20:28 産経ニュースより


 チェルノブイリ原発事故後の住民対策に取り組んできたベラルーシの民間の研究機関、ベルラド放射能安全研究所のウラジーミル・バベンコ副所長が12日、東京都内の日本記者クラブで記者会見した。

東京電力福島第1原発事故を受け、日本政府が設定した食品や飲料水の放射性物質の基準値が甘すぎ、「まったく理解できない」と批判、早急に「現実的」な値に見直すべきだと述べた。

 例えば、日本では飲料水1キログラム当たりの放射性セシウムの暫定基準値は200ベクレル。一方、ベラルーシの基準値は10ベクレルで、20倍の差があるという。

 ベラルーシでは内部被ばくの影響を受けやすい子どもが摂取する食品は37ベクレルと厳しい基準値が定められているが、日本では乳製品を除く食品の暫定基準値は500ベクレルで、子どもに対する特別措置がないことも問題視。「37ベクレルでも子どもに与えるには高すぎる。ゼロに近づけるべきだ」と指摘した。(共同)



日本の規制値「理解できない」=ベラルーシの放射能専門家
時事ドットコム(2011/10/12-19:18)より

 旧ソ連(現ウクライナ)のチェルノブイリ原発事故による放射能の影響を調べているベラルーシの専門家ウラジーミル・バベンコ氏が12日、日本記者クラブで記者会見した。

東京電力福島第1原発事故を受け、日本政府が設定した食品の暫定規制値が高過ぎるなどと指摘し、「日本の数値は驚きで、全く理解できない」と述べた。

 ベラルーシはウクライナの北隣に位置し、チェルノブイリ事故後、元原子力研究者らが「ベルラド放射能安全研究所」を設立。住民の被ばく量検査や放射能対策指導などをしており、バベンコ氏は副所長を務めている。

☆ベラルーシでは食品の基準値を細かく分類していること
☆飲料水の放射性セシウムの基準値が1リットル当たり10ベクレル 日本はその20倍!!

であることなどをバベンコ氏は、紹介。

「日本でも現実の生活に即した新しい基準値を設けられるはずだ」と語った。


チェルノブイリの経験がまったく生かされず、人の、次世代の命と健康に大きな危惧をもつ。



2011.10.14 Fri l 福島放射能健康影響 l コメント (0) トラックバック (0) l top
奈良市の小学校区の防災訓練に参加した。自治会の係りだったので・・・
時節柄、「放射線の健康への影響」というテーマの講演があった。どんな話?と思って聞いてみたら結論は

原発事故による放射能について、日本に投下された原爆被爆者の疫学調査からみて
何も心配することはない!! 
むしろそんなことを心配する精神的負担が健康に悪い影響のほうが心配!!
であった。

講演者は、伊藤哲夫氏
     京都大学博士・日本原子力学会理事・近畿大学原子力研究所長・教授

講演後の質問時間はとられず、司会者によって周到に会が終えられた。
疑問を持つ人たちは数人あまり講師に質問に行ったが、言い合うだけで質問に答える姿勢が見られなかった。

問題があると思った論点を配布資料から抜粋すると
1.原爆被爆者の疫学調査から
  100mSv以下では放射線量とがん死亡リスクとの関連は認められていない。したがって
  100mSv 以下は安全です。
 
2.被爆者の子どもへの遺伝的影響は認められていない。  だから安全です?

3.食品による内部被爆について
  規制値は年間 5mSv になっているので安全
  たとえば規制値の牛肉を1年間食べ続けても、 年間 0.6 mSv なので問題はない。

いま年間20mSvはとんでもなく、1mSvに抑えようとしているのに100mSv で大丈夫と
PRにこられる原子力村の住人は、安全神話の延長線を走り続けている様子。

最後のまとめは
やむなく被爆された方、汚染された地で生活を続けなければならない方など、被災者の心情を受け止め、日本全体は常識ある行動と言動を撮ること・・・
が重要とあった。

安全でないのに安全であるというのは犯罪である。この人たちはきっとがんが多く発生しても”自然放射能によるもので因果関係は認められない”と言うだろう。
被爆された方たち、若い世代、次の世代の健康を守ることこそが最重要なのに。
 

2011.10.08 Sat l 原発事故 l コメント (0) トラックバック (0) l top
 ご無沙汰してしまった。書きたいことがいっぱいあって、時間がとれず過ごしていると気持ちか遠くなってしまう。気軽に行こう。

 国会に原発事故調査委員会を設置する法案が9月30日成立した。福島第一原発の事故が緊迫していた初期、野党のいい加減な政府の責任追求を見て、何も理解しない国会議員が責任追及できるはずがないと思って、国会事故調に賛成でなかった。

 でも政府の事故調の非公開、責任追及しない、個人名を出さない体たらくでは、事故原因の究明ができるはずがないと思い直して、国会事故調に期待する。

 原発事故以来、管前首相の脱原発方針に反発し、野田政権に「電力変革は原発再稼動から」という主張をしていた日経も、最近落ち着いてきて、原発の安全性を高めるための抜本策をとるように主張し始めた。
政府事故調より強い権限を持つ国会事故調の課題を挙げている。  2011.10.1社説

1.公開を貫くこと
2.事故の原因と経過についての不可解なことをあきらかにすること
  ☆格納容器の弁の開放はなぜ遅れたのか
  ☆前首相の現地視察はベント開始時期に影響を与えたのか
  ☆海水注入を東電幹部はためらったのか
  ☆放射能拡散予測がなぜ住民の避難に生かされなかったのか

大賛成!! 地震後の事故原因については政府、官邸がいつ何をしたかは報道されている。

でも東電幹部(社長・副社長・・・辞めてしまったが)が
  いつ 何を 決断し 指示し 命令したのかが一切闇の中で報道を見たことがない。

安全保安院のデータ放置、隠しも目に余る。

管前首相や事故対応当事者は委員会にでて、事故原因究明に努めてほしい。
政府は国民を守るべく最大限の努力をしたと個人的には考えているが・・・

 事故原因究明なくして原発再稼動はありえない。事故以後、東電や原子力村の無責任体制
県知事の関与も言われている九州電力のやらせメール・・・これが常態化していた
などを見ると、反省がない、このままでは事故は必ず起こると思う。

小さい島国では脱原発しか道はないのだろう。
2011.10.06 Thu l 原発事故 l コメント (0) トラックバック (0) l top