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天皇陛下、その人間らしさ
2019年04月30日
平成の天皇はその象徴としての任を自ら終えられた。
平成の天皇へのBBCの見方、深くうなずく。
日本の民主主義、平和を全身全霊で守られた、
最後の右傾化の中で孤立無援の中で静かに立たれた。
平和の時代の思い出に、感謝をこめて転載

2011年には、さらに甚大な被害をもたらす地震が東北地方の沖合で発生した。マグニチュード9は、記録が残る中で、日本における4番目に大きな地震だった。この地震は巨大津波を引き起こし、東北沿岸の町々に壊滅的な被害を及ぼして、約1万6000人の命を奪った。

2019.05.12 Sun l 天皇制・平和・憲法 l コメント (0) トラックバック (0) l top
天皇の旅:3 満蒙開拓、向き合う決意
朝日新聞 2019年05月09日
満蒙開拓憲法を守りの平成から
憲法に則りの令和へ
ああ、天皇が全身全霊で平和、民主主義を守ってこられた
有権者の能天気で忘れ去ろうとしているなかで・・・
その時代は終わった、もう助けてくれないと、当たり前のことに思いいたりました。
天皇という立場を離れても、類まれな叡智で象徴を模索し実践されて方は、任を離れられた。

日本の歴史に中の満蒙開拓、岸信介氏が中心になって推し進め、新天地を求めて多くの家族、若者が満州を目指した。
天皇の旅を転載
 2016年11月、長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」に天皇、皇后両陛下(今の上皇ご夫妻)が「私的旅行」で訪れた。

 満蒙開拓民は戦前や戦中に旧満州(現中国東北部)に移り住み、敗戦後に日本に引き揚げた。寺沢秀文副館長(65)=現在は館長=は13年4月の開館後間もないころ、両陛下が関心を持っているらしいと聞いた。16年7月ごろ、県を通じ訪問の打診を受けたときは驚きつつも納得した。

 満蒙開拓は国策で進められ、開拓団の多くは、現地の中国人農民から半ば強制的に取り上げた土地に入植した。敗戦時は軍の大部分が先に南下。開拓民は国境地帯に置き去りにされて旧ソ連軍の進攻にさらされ、集団自決や中国残留孤児などの悲劇も生まれた。

 寺沢さんの両親は元開拓民だ。父は戦後、シベリア抑留を経て帰国。日本で再入植した。寺沢さんは父からこう聞いた。「開墾しようと満州に着いたら、すでに家も畑もあり、元々は中国の人のものだと知った。戦後、日本で本当の開墾の苦労をする中で、自分たちの大切な農地や家を日本人に奪われた中国農民の悔しさがわかった。あれは日本の間違いだった」
2019.05.10 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top