「首都圏壊滅の危機感」菅前首相語る

 3・11に福島第一原発の事故 を聞いた時、瞬間的に首都東京は大丈夫かと思った。
東京都の昼間人口は1300万人を超え、首都圏となると3500万人、これだけが放射能爆発で汚染されたら、日本に避難する場所がない。日本は壊滅する。
娘たち家族、孫たちが暮らしている。

原子力発電が始まった頃から、原発には広島・長崎原爆とは比較にならないほど多量の放射性物質がたまっている。半減期も2万年のものもあり人間と共存できない。と考えていた。

でも日本の原発が事故でメルトダウンするとは想像もしなかった私には、恐ろしい衝撃だった。だからニュース・雑誌・インターネットの情報を調べ、3・11からの切り抜きも保存している。

その中で、菅首相、東京電力、原子力安全保安院、原子力安全委員会・マスコミの報道などを自分なりに読み、事態の本質は何かを探してきた。

その菅前首相が、東京新聞のインタヴューで述べている。ネット上の記事はじきになくなるので要旨を再録する。

 2日に退任した菅直人前首相が5日、本紙の単独インタビューに応じ、東京電力福島第一原発の事故発生当初に原子炉の状態が把握できず、水素爆発が相次ぐ中で「東京に人っ子一人いなくなるような事故に拡大するかもしれない」と、首都圏壊滅の危機感を持ったことを明らかにした。事故の体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えが変わり、7月の「脱原発依存」宣言につながった。

 菅前首相は、事故四日後の三月十五日に東電本店に乗り込んだ理由を「午前三時ごろ、海江田万里経済産業相(当時)から『東電が第一原発から撤退の意向を示している』と言われた」ためと明言。「(第一と第二で)十基の原発と十一個の核燃料プールを放置したら、何時間か何十時間の間に原子炉とプールの水は空になり、どんどんメルトダウン(炉心溶融)する」との危機感から、本店に政府と東電の対策統合本部を設けたと述べた。

 その上で「撤退したら今ごろ、東京に人っ子一人いなくなっていたかもしれない。まさに日本が国家として成り立つかどうかの瀬戸際だった。(旧ソ連)チェルノブイリ事故の何倍、何十倍の放射性物質が出ていたかもしれない」と説明。こうした体験から「日本の技術なら大丈夫」との考えを改め、原発に依存しない社会を目指そうと思ったという。

 五月六日に中部電力浜岡原発(静岡県御前崎市)の運転停止を要請した理由は「東海地震が発生する確率が非常に高いとの研究結果があり、事故が起きたら完全に東京と大阪の間が遮断されて、日本の経済、社会に極めて大きな影響を及ぼすから」と話した。

 九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)の再稼働目前に新たな安全検査の導入を決めた理由は「(経産省原子力安全・)保安院は、私の知らないところで、保安院だけで再稼働を判断する従来のやり方を取ろうとした。それでは国民の理解を得られないと言った」と述べ、経産省の対応を批判した。太陽光などの再生可能エネルギーについては「産業的にも可能性があるが、電力業界と経産省が三十年前から抑え込んできた。それをどう突破するか。私も頑張ってやろうと思う」と述べた。

 高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)の運転再開や核燃料サイクルは「技術的に極めて難しい。根本的に再検討する時期にある」との見方を示した。(東京新聞 2011.9.6)


3.11以後の菅首相の行動について、周囲の無理解をものともせず、全精力をかけて国民の生命と未来を守るべく努めてきた、そのおかげで東京は福島にならずにすんだと再認識した。
そんな気持ちで働いてきた政治家は、彼をサポートしたごく少数のみ。

原発事故が収束に向かっているという現実、首相の任からはなれたという事がなければ
”首都圏壊滅”という言葉は使えなかっただろう。
ほとんどの国民は ”なぜこんな恐ろしい原発事故がおこり、なかなか収束しないのか!!
これは政府の事故対応が悪いからだ” と思っているから。

国民に訴えるチャンスはいっぱいあったけれど、それを使って国民を味方につけるという
才能はなかったのが残念。

2011.09.12 Mon l 原発事故 l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://natureflow1.blog.fc2.com/tb.php/26-e3ddef11
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)