戦争が風化して、特定機密保護法案、集団的自衛権の行使容認と平和憲法を放棄したような政策急進行中。前の自民政権時、自民を支持したことのないものであるが、強力な野党のない今、自民旧世代の見識に日本が忘れ去った進路があるように思うには皮肉。。。

(政々流転)自民党元幹事長、加藤紘一・古賀誠 戦争、肌感覚で知る世代
2014年8月9日朝日新聞 より転載する

 69回目の終戦記念日がめぐってくる。戦争の風化は政治の世界でも進む。自衛隊の活動範囲は徐々に広がり、集団的自衛権の行使も閣議で容認。自民党元幹事長の2人加藤紘一(75歳)・古賀誠(74歳)は、安倍政権の行方を危ぶんでいる。

 6月末、安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定する2日前。加藤と古賀は、小型ヘリでインドとの国境近くにあるミャンマー北部を飛んでいた。目線の先には、第2次大戦で最も無謀な作戦の一つとされるインパール作戦により、飢えや病などで日本兵が命を落とした「白骨街道」と呼ばれた険しい山道があった。 結局、雨で山の向こうの大勢が亡くなった地には行けず折り返す。2人は空港で山に向かい手を合わせた。

政治は軍部の暴走を止められなかった。
戦争が2年早く終われば白骨街道や沖縄、広島、長崎などの悲劇は防げたのに。

古賀の父は、赤紙で召集されフィリピン・レイテ島で戦死している。
元官房長官の野中と、父の部隊がいたジャングルを訪ね持ち帰った石を仏壇に供える。
加藤の父は政治家で外務官僚出身、けれども戦争を肌で知るという点で2人は共通する。
かつて自民党には、官房長官の職をかけて自衛隊のペルシャ湾派遣に反対した
後藤田正晴ら戦争を痛覚した世代が存在感を示した。

そして今、軍部ではなく、安倍自民が暴走を続ける。
 古賀家の仏壇にはフィリピン・レイテ島の小石が納められている。赤紙で召集され戦死した父の遺骨代わりだ。2003年に元官房長官の野中広務と、父の部隊がいたジャングルを訪ね持ち帰った。戦後届いた箱には「古賀辰一昭和19年フィリピン・レイテ島で没す」との紙っぺらが1枚。古賀は、ミャンマーで戦死し、遺骨がない同じ思いの遺族に渡すため石を拾ったのだ。

 古賀は父を失い、母が必死に働く姿を見て「貧乏な人を助ける仕事」の政治家を志した。運輸相や自民党道路調査会長を歴任し、道路族のドンとして名をはせた。

 父も政治家で外務官僚出身の加藤の来歴は古賀とは対照的だ。けれども戦争を肌感覚で知るという点で2人は共通する。加藤は幼い頃、徴兵された近所の大人から、戦友が殺され敵を殺した、と聞いた話を忘れられない。強烈な経験を経て平和を求める人たちに支えられ「地域保守」の議員になった自負がある。04年のイラクへの自衛隊派遣承認案の採決では共に退席した。

 かつて自民党には、官房長官の職をかけて自衛隊掃海艇のペルシャ湾派遣に反対した後藤田正晴ら戦争を痛覚した世代が存在感を示した。2人はその最後の生き残りだ。

     *

 2人が引退した今、安倍は「積極的平和主義」の下、戦後の安全保障政策を大きく転換する政策を次々と打ち出す。安倍の言う「日本を取り巻く環境の変化」を考えれば、安倍ら戦後生まれの方が現実的にもみえる。古賀は「集団的自衛権は言葉で調整できるものではない。殺し殺されるのは、歯止めなどかけても関係ない」。

 「軍人だけでは終わらず住民も巻き込むのが戦争。政治も流される恐れがある」とも警鐘を鳴らす。国民に理解と覚悟を求め憲法改正手続きをとらず、「政府がどんどんリードしてそれを党が追認する」自民党の現状を、古賀は政治の貧困状況という。

 現職からは「2人はバッジを外したから発言しやすい」とうらみ節があがる。ある関係者は、集団的自衛権の限定容認論に一時理解を示した古賀に、「郵政民営化の採決で退席したのに、一転賛成を表明した時と同じ」と冷ややかな視線を向ける。

 彼ら自身にも後悔がある。イラク自衛隊派遣承認案などでも、退席するだけで満足するのではなく、成立を阻めばよかった。そうすれば、こんな流れにならなかったかもしれない。古賀は「努力不足と言われればそうだ」。

 だからこそ2人は、激戦地で再認識した戦争の愚かさをこれからも伝えていくつもりだ。「最後の世代」の責任として。=敬称略(上地一姫)

2014.08.14 Thu l 戦争と平和 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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