集団的自衛権、戦争できる国へ突き進む安部政権、絵空事の国を守るが進行中。
美輪明宏氏の言葉が身にしみて的確、ここに転載させていただく。

(人生の贈りもの)歌手・俳優・演出家、美輪明宏:3 長崎原爆、夢でうなされた
2014年9月18日朝日デジタルより

――1945年8月9日、長崎は青空だったんですね
 こんないい天気なのに雷? 原爆でした。

 ――ご家族はご無事でしたか
 爆心地に近い母方の家にいた叔母や叔父は亡くなりました。父はその方面に集金にいくはずでしたが、さぼって釣りにいっていて助かって。1週間後に終戦になって、母方の家をみにいったんです。そのあたりは焼け野原で、遺体を掘り出している人がいました。泣き泣き帰りました。

 ずいぶんたって、東京へ出てからも悪性貧血を何度も起こして倒れました。あのとき放射能で汚染されていたのに、当時は放射能という言葉さえだれも知らなかったんです。

 ――「ふるさとの空の下に」といった反戦歌をコンサートで歌われます。すごみがあります
 体験がありますからね。
安倍首相も内閣の人たちも戦争体験のない人ばかり。

戦争を簡単に考えていませんか。
そんな簡単なもんじゃありませんよ。
 私は繁華街の父方の家の2階で宿題の絵を描いていました。絵のできあがりを見ようと立ち上がって、さがったところでピカッときました。マグネシウムを100万個もたいたような光。

 世界中の音が止まったようにシーンとして。

 次の瞬間、世界中の音を集めたようなとどろき。

 ものすごい爆風でガラスがいっせいに割れました。私はガラス戸から離れていたので、突き刺さらずにすみました。となりの映画館は天井が落ちてすっぽんぽんになりました。

 ――外へ逃げられた

 馬車の馬が倒れて、やけただれた馬車ひきのおじさんがピンピン跳びはねていました。道端の人の皮膚はズルズル、目は飛び出して。ぼろぼろの服をひきずって、何かわめきながら歩いていく。この世のものとは思えない光景が続いて、その後何年も夢にみてうなされました。


2014.09.24 Wed l 戦争と平和 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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