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歴史にまれな酷暑の西日本水害でも、電力不足は全くない。
不必要で時代遅れ、高コストの原発になぜしがみつくのか?
自公安倍政権は原発をベースロード電源と位置づけ、再稼働を極限まで推し進める構え。
22&目標実現には、原発の新設もしなければならない。
プルトニウム溜め込み過ぎとの批判に、再稼働原発で極めて危険なプルサーマルを増やす。
アメリカファーストの安倍政権は
もしかして人口削減計画実行中ではないのか?


小泉元首相の原発ゼロの記事を転載しておく。
(原発ゼロをたどって:1)終わりじゃない、これからだ 2018年7月24日朝日夕刊
(原発ゼロをたどって:2)「電力業界にメスを」、遺志継ぐ 2018年7月25日朝日夕刊
(原発ゼロをたどって:3)全国行脚、炎は絶やさない 2018年7月26日朝日夕刊
(原発ゼロをたどって:4)「原発ゼロ基本法」を作りたい 2018年7月27日朝日夕刊
(原発ゼロをたどって:5)新しい社会への「鍵」になる 2018年7月30日朝日夕刊
(原発ゼロをたどって:6)仲間はもう増えないのか 2018年7月31日朝日夕刊
(原発ゼロをたどって:7)方向転換に5年もいらない   2018年8月1日朝日夕刊
(原発ゼロをたどって:8)「国民的議論」をもう一度 2018年8月2日朝日夕刊
(原発ゼロをたどって:9)民意、推進側を悩ます 2018年8月3日朝日夕刊

立憲民主党が中心となり共産、自由、社民の各党と共同提出した「原発ゼロ基本法案」が一度も審議されないまま、今国会が閉会する。立民が審議入りを再三求めたが、自民党が応じなかった。野党は、自民側が原発ゼロを求める世論を意識し、否決した場合の批判を懸念したと指摘している。
原発ゼロ法案 審議ゼロ 自民、委員会開催応じず  2018年7月20日東京新聞
 法案は三月九日、衆院に提出、六月八日に衆院経済産業委員会に付託された。今国会は六月二十日までだった会期が一カ月余延長され、同委は会期延長以降、原発ゼロ基本法案以外に審議する法案がなかった。

 だが自民は委員会の開催に一度も応じなかった。一方で自民は、参院定数を六増する公職選挙法改正案を六月十四日に提出、一カ月余でスピード成立させており、対照的な対応だ。

 経産委の野党委員の一人は、自民が法案を否決せずに、あえて「たなざらし」の状態にした理由を「原発ゼロを否定する政党というイメージが強まることを警戒し、審議しない状態を続けた」と分析。与党委員の一人は本紙の取材に、審議しない理由は「分からない」と説明を避けた。

 経産委は事実上の会期末となる二十日に理事会を開き、法案を継続審議にするか廃案にするかを決める。

 原発ゼロ基本法案は、全原発を停止し、施行後五年以内に全原発の廃炉を決めることが柱。二〇三〇年までに再生可能エネルギーによる発電割合を全電源の40%以上に拡大。原発廃止で経営悪化が見込まれる電力会社や、雇用の影響が懸念される原発周辺地域に国が措置を講ずるとした。

 政府が今月閣議決定したエネルギー基本計画では、三〇年度の原発の発電割合を20~22%とし、安倍政権が再稼働を進めていく方針を明確にしている。

原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟 原自連公式サイト
転載
(原発ゼロをたどって:1)終わりじゃない、これからだ
 聴衆の傘に雪が積もっていた。元首相の小泉純一郎(76)はその光景を忘れない。

 2014年2月8日夜。元首相・細川護熙(もりひろ)(80)と挑んだ都知事選の選挙戦最終日は記録的な大雪だった。JR新宿駅前で選挙カーの上に立つと、聴衆の傘が雪でみな真っ白だった。待ってくれていたんだ――。

 翌9日の投開票で、細川の得票は、当選した舛添要一の約211万票に遠く及ばず、次点の宇都宮健児の約98万票をも下回る約96万票だった。

 同日夜の会見で、細川は小泉から寄せられたファクスを読み上げた。「細川さんの奮闘に敬意を表します。これからも『原発ゼロ』の国造り目指して微力ですが努力を続けてまいります……」

 小泉は今回、朝日新聞のインタビューに、その時の気持ちをこう語った。

 「そら、みろと。原発は争点にならなかった、これで小泉・細川も『原発ゼロ』運動をやめるだろう、という声が入ってきた。それへの反発の気持ちもあった。終わったんじゃない、これから始まるという意欲を示したいとファクスを送ったんだよ」。やめるつもりはさらさらなかった。

 そんな小泉に熱い思いを抱いたのが、全国の原発差し止め訴訟にかかわる弁護士の河合弘之(74)だ。

 今までの反原発運動は主に左翼が担っていたが、この運動には保守層も引っ張り込まないと実らない。だからこそ、小泉と組まねば。河合はそう思い定めた。

 もっとも、小泉に近づくツテがない。あの手この手、なんでも探った。すがりついたのは、小泉と河合という2人の「闘士」をそれぞれ本に描いた作家・大下英治(74)だった。大下が間に立って15年6月、ようやく杯を交わすことができた。「胸襟をひらいて話し合って、すぐに肝胆相照らした」と河合。

 河合は懇意になった小泉に相談を持ちかけた。原発を進める大手電力は電気事業連合会(電事連)という組織のもとに団結している。なのに、脱原発や再生可能エネルギーの組織は全国でばらばら。「こっちも団結しないといけないのでは?」。河合がそう問いかけると、小泉は「いいね、やろうよ」。そうして17年4月の「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」の結成にいたる。

 その準備段階。組織名を決めるにあたって、ちょっとしたエピソードがある。

 河合は小泉に尋ねた。「名称は『脱原発・自然エネルギー推進連盟』でいいですかね」。これに小泉は「いや。『原発ゼロ』を言ったらいいんだよ」。河合は思った。「『脱原発』だと略称は『脱自連』になって、どうもゴロが悪い。『原発ゼロ』なら、略称は『原自連』。こりゃ、おもしろい」

 出来すぎの話に聞こえるが、こうして河合が講演するとき、笑いを取る決めぜりふができた。「電事連対原自連。原発を推進しているのは電事連。僕らは原自連です」

 それにしても、小泉はなぜ「原発ゼロ」という言葉にこだわるのか。=敬称略(小森敦司)

(原発ゼロをたどって:2)「電力業界にメスを」、遺志継ぐ
 大手電力の「電気事業連合会(電事連)」に対峙(たいじ)する気構えでつくった「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟(原自連)」。実は顔役の元首相・小泉純一郎(76)の役職は顧問だ。実際のトップ、会長は大手信金・城南信金元理事長の吉原毅(よしわらつよし)(63)である。

 およそ一回りも年の離れたこの2人を一人の経済学者がつないだ。2013年1月に亡くなった元慶大教授の加藤寛(ひろし)(享年86)だ。

 ともに慶大出身の2人にとって加藤は恩師だった。加藤は国鉄民営化や消費税導入にかかわり、「小泉構造改革」もそのブレーンとして支えた。その加藤は吉原に請われて12年11月、城南信金のシンクタンク城南総合研究所の初代名誉所長に就いた。所長が吉原だった。

 加藤の遺作となった本のタイトルは、その名もずばり「日本再生最終勧告 原発即時ゼロで未来を拓(ひら)く」(ビジネス社)だ。加藤はその巻頭に城南総研のリポートへの寄稿文を再掲している。原発への激烈な批判の言葉が並ぶ。

 「原発はあまりに危険であり、コストが高い。ただちにゼロにすべきです……(大手9電力は)原子力ムラという巨大な利権団体をつくって……国家をあやつるなど、独占の弊害が明らか」

 小泉はこの加藤の依頼を受けて、原発事故から間もない11年5月、「小泉構造改革」の旗振り役だった慶大教授(当時)の竹中平蔵(67)と鼎談(ていだん)している。このとき、小泉は「今後は原発への依存度を下げるべきだ」と語り、加藤は「わが意を得」たと、この本に書き残している。

 加藤逝去後の13年8月、小泉はフィンランドの高レベル放射性廃棄物の最終処分場オンカロを視察、「原発ゼロ」に踏み込む。同年11月の記者会見で、それまでの原子力政策を舌鋒(ぜっぽう)鋭く批判した。

 「最終処分場のメドをつけられると思う方が楽観的で無責任すぎる」

 吉原といえば10年11月、城南信金の元会長の相談役による「組織の私物化」があるとして、理事の多数の理解を得て相談役らを解任、自ら理事長になった経歴をもつ。そして経営改革の取り組みが軌道に乗ったと思った矢先の11年3月、東日本大震災と東京電力の原発事故が起きた。

 城南信金は11年4月、「原子力エネルギーは一歩間違えば取り返しのつかない危険性を持っている」と、吉原の思いが詰まった脱原発宣言をホームページに載せた。その延長線に加藤を名誉所長に招いた城南総研設立があった。

 吉原は加藤についてこう話した。「経済学に『レントシーキング・ソサエティー(たかり社会)』という言葉がある。加藤先生は、その最大の電力業界にメスを入れるべきだと考えていた。俺の代わりにやってくれ、と言われている気がするんです」

 加藤の後の2代目名誉所長には14年、吉原の要請を受けて小泉が就いた。小泉は今回、取材にこう語った。「加藤寛先生がね、私と吉原さんとの仲、そして『原発ゼロ』運動を結びつけてくれたと思うんだ」=敬称略


(原発ゼロをたどって:3)全国行脚、炎は絶やさない
 「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」(略称・原自連)顧問の小泉純一郎(76)は、「原発ゼロ」を説く講演で全国各地を飛び回る。その語り口は、首相時代と変わらず聴衆を魅了する。

 直近の6月5日にあった静岡県浜松市での講演会。メインホールはほぼ満席、別室も含め約2700人が聴き入った。せき払いもはばかられるような緊張感が漂う。小泉は1時間半立ちっぱなしで、ボルテージが上がる。

 「原発は安全、コストが安い、クリーンなエネルギー。経済産業省が言う3大大義名分は全部ウソだった。これは黙って寝てはいられないな、と」。行動の原点には、原子力政策で官僚らにだまされていたとの強い憤りがある。

 小泉のそんな熱い思いにひきつけられ、多くの「同志」が原自連に集う。顔ぶれは多彩だ。浜松での講演でも主要メンバーが客席の片隅に座っていた。こんな人がいた。

 科学技術庁長官や自民党幹事長を務めた小泉側近の中川秀直(ひでなお)(74)。原自連の2017年4月の発足会見で中川はこう語っている。「自然エネルギーでやっていける時代が来た。その最先端の日本でありたい。(原子力開発を担って)一番反省しなければならない科学技術庁長官だった私が、心からそう思う」

 前静岡県湖西市長の三上元(はじめ)(73)は福島の事故後、元経営コンサルタントの経験から、いち早く「原発は高い」と唱えた。軽妙なフットワークで12年4月には、東海第二原発(茨城県)の廃炉を訴えた東海村長(当時)の村上達也(75)らと「脱原発をめざす首長会議」を設立している。こうして、人が、運動がつながっていく。

 原自連事務局次長の木村結(ゆい)(66)はチェルノブイリ原発事故後に脱原発運動に飛び込んだ「筋金入り」だ。いま、東京・四谷にある原自連事務所を守る。小泉や原自連幹事長の河合弘之に臆せずモノを言うので、「猛獣使い」と称される。

 事故で会社に損害を与えたとして、東京電力の旧経営陣に約22兆円を会社に払えと求める東電株主代表訴訟の原告団事務局長でもある。「ギネス級」の請求額が話題になるが、それだけ大きな被害を表すもので笑えない。

 これらの面々も、請われたらその地に飛んで「原発ゼロ」を訴える。積極的に取り組んでいる各地の団体の表彰も始めた。河合と環境エネルギー政策研究所長の飯田哲也(てつなり)(59)が世界の自然エネルギーの急成長をリポートしたドキュメンタリー映画「日本と再生」の上映会も重ねる。

 原自連発足から1年余りで、登録する団体数は300に達した。小泉は今回、私たちの取材にこう説明した。

 「原自連は、『原発ゼロ』にしようという『炎』をね、絶やさないようにする。その拠点として各地域で地道にやっていく。そういう国民運動としてやっている」

 活動には新たな取り組みが加わっている。国として原発廃止の方針を打ち立てる「原発ゼロ基本法」をつくろうというものだ。=敬称略

(原発ゼロをたどって:4)「原発ゼロ基本法」を作りたい
 元首相・小泉純一郎(76)が顧問の「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟(原自連)」がいま熱心に取り組むのが、原発を廃止する「原発ゼロ基本法」制定の運動だ。

 きっかけは昨年10月の第48回衆院選の投票日翌日(23日)、立憲民主党代表・枝野幸男(ゆきお)(54)の発言だった。

 夜の報道番組でコメンテーターが枝野に問うた。「公約で原発ゼロ基本法制定をうたわれています。工程表は?」

 枝野は答えた。「民進党時代に仲間たちで、ある程度まで、つくってきたものがあります。それを再チェックして、リアリティーがあるものとしてお示ししたい」

 これを見た原自連事務局次長の木村結(66)が動いた。25日夕、会長・吉原毅(よしわらつよし)(63)や幹事長・河合弘之(74)ら原自連の主要メンバーに立憲民主党との合同勉強会開催を訴えるメールを送った。

 こう書き添えた。「当連盟にとって願ってもない機会です……国民を巻き込んだ『原発ゼロ法案』運動を起こしていける契機になるのではないかと思います」

 実は、河合や木村は原発事故の後、国会議員に「脱原発法」制定を呼びかけて一度は法案提出まで至ったものの、共感は広がらず廃案になっていた。野党再編を経た今、再挑戦しようと考えたのだ。

 小泉も含めた幹部会議に諮ると、原自連としての考えをまとめた法案の骨子をつくってみよう、となった。

 「私が」と一人の男が手を挙げた。自民党の総裁幹事長室事務部長などを務めた近江屋信広(68)。自民党の「奥の院」にあって歴代幹事長らを支えてきた。2005年の郵政解散で出馬、衆院議員を1期務めた。東北出身で事故後は原発をなくすべきだとの思いを強め、自然と原自連を手伝うようになっていた。

 勘所は分かっている。国会図書館で資料を集め、衆議院法制局の意見も聞いて、17年末までに法案の骨子をまとめあげた。最も重要なのは、基本理念に「原子力発電は即時廃止する」と明記したことだった。小泉の「原発ゼロ」の思いを反映させた。

 18年1月10日午後1時、衆議院第一議員会館。原自連がその骨子を発表する記者会見を開いた。「かなりハードルが高いが」との記者の質問に小泉がすぐさま言い返した。「高くないですよ。あの事故以来、7年間、日本は原発ほとんどゼロ。13年9月から15年9月まで2年間、原発ゼロ。原発ゼロでやっていけることを証明してしまった」

 同日午後3時30分からは同じ会場で、立憲民主党エネルギー調査会との対話集会があった。枝野発言を受けて同党も法案作成を本格化させていた。同党が配った主要論点にあった「原発ゼロの一日も早い実現」との記述に原自連幹事長の河合がかみついた。

 「今日の会見で、小泉さん、原発事故の後を考えてみろと。完全に(稼働)ゼロの時もあるし、ゼロでいいんだと。『即時ゼロ』が私どもの基本法案の肝です」

 小泉ら原自連の主張が同党の議論に影響を与えていった。=敬称略

(原発ゼロをたどって:5)新しい社会への「鍵」になる 2018年7月30日朝日夕刊

市民団体「首都圏反原発連合」主催の国会前集会に置かれた七夕飾りには、「原発ゼロ」の法案成立を求める短冊もあった=7月7日

写真・図版
 立憲民主党で「原発ゼロ基本法案」づくりを中心になって担ったのは、党エネルギー調査会事務局長の山崎誠(55)だ。実は、今では「幻」となった民進党の原発ゼロ法案にもかかわっていた。

 山崎は2009年8月の衆院選で初当選するが、12年暮れに落選し、17年10月、比例区で当選した。浪人中、自然エネルギーの普及を図る団体で働きつつ、原発をなくしていくための民進党の政策集「原発ゼロ社会変革プログラム」の下書きをしていた。

 山崎に声をかけた立憲民主党(当時民進党)の衆院議員・高井崇志(たかいたかし)(48)のウェブサイトにそれは残っていた。A4判13ページ。日付は17年6月9日。末尾に高井ら6人の議員有志の名がある。

 当時の民進党代表・蓮舫の意向を受けたものだったが、野党再編で結局、成案にならなかった。立憲民主党を立ち上げた枝野幸男が17年10月の衆院選直後の報道番組で語った「民進党時代に仲間たちでつくってきたもの」とはコレのことだと関係者はみる。

 中身はといえば、基本方針として「省エネ・再エネシフトを進め30年代に原発ゼロを完成させる」とし、末尾に原発ゼロ法案の「骨格」も付けていた。

 そこには「緊急事態発生時のみ限定的に再稼働をみとめる」との例外規定があった。支援を受ける電力関連労組への遠慮が出たとみられる。

 立憲民主党の原発ゼロ基本法案の当初案にも似た記述が残った。それが、同党が各地で開いたタウンミーティングで問題になった。

 例えば今年2月11日。福島県郡山市の回では環境NGO「FoEジャパン」理事の満田夏花(みつたかんな)がクギを刺した。「緊急時の運転の必要性は疑問。原発の稼働状況を踏まえれば、即時ゼロを前面に押し出すべきです」。原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟事務局次長の木村結(ゆい)(66)も「できるだけシンプルに」と求めた。

 立憲民主党内の議論でも、元首相の菅直人(71)が「もっとゼロを強く」などと主張。山崎は調査会長の逢坂(おおさか)誠二(59)らと協議して、例外規定をなくし、前文でもきっぱりと「(全原発を)速やかに停止し、計画的かつ効率的に廃止する」とうたった。

 この前文には、山崎のお気に入りの一文が作成過程で入った。議員立法を助ける衆議院法制局から様々なアドバイスを受けるのだが、山崎の案になかった、こんな一文が挿入されたのだ。「原発廃止・エネルギー転換の実現は、未来への希望である」――。

 山崎は言う。「『原発ゼロ』には、電気が足りなくなるといった否定的な見方が世の中にはある。そうじゃない、新しい社会に変わる『鍵』だと訴えたのを、法制局がうまい言葉にしてくれた」

 全国20カ所あまり、約2千人が参加したタウンミーティングや衆院法制局とのやりとりを経てできた法案は、共産党、自由党、社会民主党と共同で3月9日、衆院に提出された。ようやく「原発ゼロ」への旗印が立った。しかし、容易に審議入りとはならなかった。=敬称略

(原発ゼロをたどって:6)仲間はもう増えないのか 2018年7月31日朝日夕刊
 「つるし」。法案が審議に入れないことを示す国会の業界用語だ。立憲民主党など野党4党が今年3月に共同で衆院に提出した「原発ゼロ基本法案」は長らく「つるし」の状況が続き、あげく継続審議の扱いになった。

 なぜか。法案提出から約3カ月が経った6月8日。法案審議を求める緊急集会が国会内であった。法案作成を担った立憲民主党の山崎誠(55)は、一部野党の賛成がなかなか得られなかったと説明した。さらに、原発推進派が多数を占める自民党の理解も審議入りには必要だった。

 集会は元首相・小泉純一郎が顧問の「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟」も協力。小泉と対立した共産党の笠井亮(かさいあきら)(65)は「元首相が『国民運動を展開する』と言われたのを力強く思う」などと歓迎した。が、道のりが険しいのは明らかで、山崎も「徹底的に審議を要求していく」とはするものの、成立の見通しは立っていない。

 「仲間」は増えないのか。

 集会には法案に直接の関係がない無所属の田嶋要(たじまかなめ)(56)の姿があった。元は民進党だが昨年来の野党再編を経て無所属に。司会役の山崎は集会終盤でこの田嶋に発言を促した。実は民進党時代、あの「幻」の原発ゼロ法案を成案にと努めたのが田嶋だった。驚きつつマイクを握った。

 「エネルギーの問題は天動説の世界で地動説を唱えるような話……関係者に働きかけ最後は地動説にしたい」。取材に田嶋は「山崎議員らと思いは同じです」と言った。

 その田嶋は今年5月、「自然エネルギー社会実現議員連盟」なる超党派議連を立ち上げた。原発と裏腹の関係にある自然エネルギーの拡大に尽くすのが狙いだ。約40人の議員を集めたところだ。

 議連2回目の6月19日の会合では、あの孫正義が2011年に創設したシンクタンク「自然エネルギー財団」事業局長の大林ミカがプレゼンし、世界の原子力と自然エネルギーの導入推移を示した。

 「風力は15年に原子力容量を追い越し、太陽光は17年にほぼ同量に」――そんな実態を政党の別なく伝える姿は「自然エネルギーのジャンヌ・ダルク」とも呼ばれる。

 長年、超党派で活動を続ける「原発ゼロの会」の存在も政界では大きい。事故後の12年3月、原発ゼロへの国民の思いの受け皿に、と結成された。創設メンバーには自民党で現外相の河野太郎(55)もいる(現在休会中)。現会員数は100人弱。全国会議員700人余の約7分の1だ。

 事務局長の立憲民主党の阿部知子(70)は「名前を出すと差し障りのある議員がまだ多い」と嘆息する。反面、「勝った勝ったと言いながら負け続けた太平洋戦争と一緒。原発をずるずるとやっているが勝負は付いている」と「原発ゼロ」を確信する。

 会の名は報道番組「NEWS ZERO」から思いついた。「ゼローって、『打ち出し方』がいいな」と阿部。

 幅広く。粘り強く。軽やかに。「原発ゼロ」が政治的に盛り上がる時は遠くないかもしれない。=敬称略(小森敦司)

(原発ゼロをたどって:7)方向転換に5年もいらない   2018年8月1日朝日夕刊
今の安倍政権は、政府策定の「エネルギー基本計画」をもとに原発政策を進めている。はたして、それは合理的なものなのか。

 事故後、脱原発社会に向けた政策提案を続ける随一のシンクタンク「原子力市民委員会」。その座長の九州大教授・吉岡斉(ひとし)が今年1月14日、肝神経内分泌腫瘍(しゅよう)で死去した。64歳だった。

 吉岡が心血を注いだ、脱原発実現のための報告書「原発ゼロ社会への道2017」は17年12月に発表された。自ら執筆した最終章で、吉岡は14年4月に閣議決定された第4次の基本計画を冷笑した。

 「このような貧しい記述は、原発推進の根拠を示す議論として何の説得力もない」

 とくに厳しい目を向けたのが、基本計画が原発を「3E(安定供給、環境適合、経済効率)+S(安全性)」の観点から推進すべきだ、としたところだ。吉岡は「S」を最高基準にすべきであるとして、こうつなげた。

 「もし『S』において社会が受け入れ可能な水準を原発がクリアしなければ、仮に『3E』において特別に優れていた場合でも、発電手段として放棄すべきだ……なぜなら原発事故の損害規模は、他の発電手段のそれと比べて際立って大きい……戦争にも匹敵する被害である」

 原子力市民委員会は、NPO法人「高木仁三郎市民科学基金」の助成を受けて13年に発足。破綻(はたん)した原発政策を政府が進めるなら、市民は市民の手で多数の民意に立脚した脱原子力政策をつくり、実現していかねば、という趣旨だった。基金事務局長の菅波完(すげなみたもつ)(52)によると「その枠組みは吉岡先生の筋書きがベース」だった。

 適宜出された声明などの多くも、吉岡の素案に他委員の意見を反映する形でつくられた。市民との意見交換会も各地で頻繁に開いた。事務局スタッフで吉岡を助けた水藤周三(すいとうしゅうぞう)(34)は振り返る。「吉岡先生は議論が楽しいようで、ニコニコして答えていた」

 だが、安倍政権は、吉岡らの市民委員会の指摘を真摯(しんし)に聞くこともなく、今年7月3日、第5次計画を閣議決定した。吉岡が第4次計画で批判した「3E+S」の部分は、そのまま踏襲していた。

 「原発のコスト」(岩波新書)などの著作で知られ、座長代理だった龍谷大教授・大島堅一(51)は昨年12月、吉岡の九州の入院先を見舞っている。学究肌の吉岡らしく患った病を大島に詳しく説明した。そして小さな声で頼んだ。「座長をお願いします」

 今年2月、亡くなった吉岡の後任座長に大島が就いた。直後の合宿で大島は言った。

 「『原発ゼロ』については、あと5年でカタを付けたい」。発足から10年の区切りを念頭に残りの5年で科学的な知見から、その方向性を示すという覚悟を示した。

 大島は取材に語った。

 「吉岡先生の著作を改めて読み、日本の原発をめぐる状況は悪くなる一方だと感じた。もはや『原発ゼロ』への方向転換に5年もかからないのでは。推進勢力を追い込んでいきたい」=敬称略(小森敦司)

(原発ゼロをたどって:8)「国民的議論」をもう一度 2018年8月2日朝日夕刊
 従来の原発・エネルギー政策は事実上、経済産業省の手の内で決まっていた。が、原発事故を受けて当時の民主党政権は、広く民意を聞いた。それが2012年夏の「国民的議論」だ。

 まず、政策の見直しのために国家戦略相を議長とする省庁横断の「エネルギー・環境会議」を立ち上げ、その事務を国家戦略室に担わせた。そうして12年6月、30年の原発比率として「0%」「15%」「20~25%」の選択肢を提示、それを「国民的議論」にかけたのだった。

 具体的には、全国11カ所で意見聴取会を開催。討論を通じて意見がどう変わったかを見る「討論型世論調査」も導入。広く意見を求める「パブリックコメント」では、集まった約8万9千件の中身を丁寧に分析した。報道機関の世論調査なども把握した。

 今年4月、市民団体「脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会(eシフト)」などが開いた集会。6年前、国家戦略室の担当者として携わった伊原智人(ともひと)(50)が、「国民的議論」の結果をこう表現した。「少なくとも過半の国民は、原発に依存しない社会を望んでいる」――

 伊原は事故の時は民間企業にいたが、元は経産官僚で電力に詳しく、民主党政権幹部の誘いに応じて霞が関に戻った。伊原によれば、「国民的議論」は「できる限りやる」との姿勢で臨んだ、という。

 これを受け、当時の国家戦略相・古川元久(もとひさ)(52)は12年8月22日、伊原らスタッフ数人に具体的な戦略を書くように求めた。示したA4の紙には「40年廃炉の徹底」「新増設しない」など「原発ゼロ」への大方針が並んでいた。

 現在、国民民主党幹事長の古川は振り返る。「オープンな『国民的議論』で、過半の人が『ゼロ』にしたいとの思いが示された。だから、政治の意思で大枠をしっかり示さないといけないと考えた」

 指示を受けた伊原らは急ピッチで作業を進め、「30年代原発ゼロ」を明記した「革新的エネルギー・環境戦略」の案をとりまとめる。「戦略の『ゼロ』は、『国民的議論』がベースで整合性がとれていました」と伊原。

 だが、12年暮れの総選挙で自民党が圧勝、安倍政権が誕生すると国家戦略室は廃止され、伊原は退官。「30年代原発ゼロ」も白紙にされた。

 今年4月のeシフトなどの集会。司会役の環境NGO「FoEジャパン」の吉田明子(37)が「当時はいろいろあった」と言うと伊原は苦笑いしつつ、「だいぶ、いじめられました」。12年当時、民意を聞く努力が、なお足りないと批判されたからだ。

 吉田は返した。「誠意をもって社会的合意を探る取り組みは、いま改めて評価できるかと思います」

 時を経て民意は変わっただろうか。伊原は言う。

 「また同じような『国民的議論』をしていいかもしれません。国民の意向を踏まえてエネルギー政策を決めると言うなら、その意向は正しく把握するべきです」

 で、安倍政権はどうか。次の最終回で考える。=敬称略(小森敦司)

(原発ゼロをたどって:9)民意、推進側を悩ます 2018年8月3日朝日夕刊
原発・エネルギー政策の議論から逃げようとするのが安倍政権の特徴でないか。端的なのは有識者会議の構成だ。

 政権を奪還した2012年暮れの衆院選から約2カ月後の13年3月1日。当時の経済産業相・茂木敏充(もてぎとしみつ)(62)は第4次エネルギー基本計画をまとめる有識者会議の委員を発表した。それは民主党政権時代の25人を15人に縮小、「脱原発派」とみられた委員を8人から2人に減らすものだった。

 会見でこの点を聞かれた茂木は「専門性を中心にして議論をしていただく」などとかわしたが、原発の是非の論議を封じ込もうとしたのは明白だった。こうしてつくられた14年の第4次計画で、原発は「重要なベースロード電源」という位置づけを獲得した。

 さらに17年8月、第5次計画の議論を始めた有識者会議では、「脱原発派」委員は1人に。その「1人」が日本消費生活アドバイザー・コンサルタント・相談員協会常任顧問の辰巳菊子(たつみきくこ)(70)だった。

 「あのメンバーで結果が見えていると思いました……私は国民の代表との立場で参加しましたが、マイナーというか、独りぼっちでした」

 今年5月、「脱原発・新しいエネルギー政策を実現する会(eシフト)」などが開いた集会で辰巳はそう語った。事実、7月に閣議決定された第5次計画は第4次に続き原発を維持するものになった。

 が、それは民意の裏打ちを欠いていた。朝日新聞の今年2月の世論調査では、停止中の原発の運転再開について反対が61%、賛成が27%。「反対」が「賛成」のほぼ倍というのは、ほかの報道機関の調査でも大差ない。

 eシフト運営幹事の桃井貴子はこう見る。「民意を聞けば、『原発ゼロ』になる。だから原発維持で行くには民意無視を決め込むしかない」

 先の国会で「原発ゼロ基本法」を審議しなかったのも、原発をめぐる議論の拡大を恐れたからではなかったか。実は推進側は「原発ゼロ」の声が怖くてならない。

 今年6月10日投開票の新潟県知事選。原発維持路線を取る政権与党の自民、公明が支持する陣営が開票日前日9日、地元紙に出した1ページの広告が話題になった。

 「脱原発の社会をめざします。……再稼働の是非は、県民に信を問います!」――焦点の東京電力柏崎刈羽原発の再稼働について慎重姿勢をそうアピールした。

 新潟県では前回16年10月の知事選で再稼働に慎重な野党系候補者が当選。そこで今回、与党系は再稼働の争点化回避に動いたと報じられた。

 野党系の選対幹部の新潟国際情報大教授・佐々木寛(52)は話す。「新潟では『脱原発』の姿勢でないと勝ち目がない。だから向こうはそんな戦術を取るしかなかった」

 重い原発のリアル(現実)。もはや7年前の事故をなかったことにできない。いまも使用済み燃料問題ひとつ解決できない。そして「原発ゼロを」という多くの人の思いが推進側を苦悩させる。

 =敬称略(小森敦司)
2018.07.29 Sun l 脱原発・エネルギー政策 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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