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第二次世界大戦で敵国であった英、仏、さらに日清戦争以来列強に交じって進出、侵略して日中戦争に至った中国、それらの国を訪問し、和解の道筋をつけるべく許される限りの誠意を尽くされた天皇の足跡を、朝日新聞の特集からたどる。
今では、敵国であったことを忘れるほどの友好関係を維持してきた裏に、天皇陛下の訪問があったと感じられる。

(平成と天皇)第8部・外国訪問:上 捕虜も懸案、遅れた訪英
2018年10月10日朝日新聞より転載

 戦後50年前後の天皇、皇后両陛下の訪欧をめぐる日英政府の調整の一端が、英政府が公開した外交文書で明らかになった。戦争中の英国人捕虜の問題への対処に気を使う日英両国の思惑も浮かび上がる。

 英公文書館は今年7月24日、メージャー保守党政権時代の1993年までの外交文書の秘密指定を解除し、公開した。両陛下の英国訪問は98年5月に実現したが、日英両国はこれに先立つ93~94年の訪英をめざしていたことがわかる。

 文書によると、メージャー首相(当時)が93年9月に訪日して細川護熙首相(同)と会談した際、両陛下の訪英日程とあわせて、第2次世界大戦中に日本軍により強制労働に動員された英国人元捕虜の問題が議論になった。

 細川氏は首脳会談で「日本により苦しみを味わったすべての英国人に、繰り返し深い反省とおわびの念を表明したい」と謝罪。メージャー氏は謝意を伝え「問題は重要だが、調子(キー)を低く抑えたい。拡声機(メガホン)を使わず、非公式協議で解決を探りたい。この件は強い感情を呼び起こしたが、燃え上がらせるべきではない」と答えたとされる。

 英国では当時、戦後50年を前に、元捕虜らが日本に謝罪や補償を求める動きが活発化していた。

 英国訪問の実現は簡単ではなかった。93年9月8日付で英外相秘書が英首相秘書にあてた書簡によると、93年秋、両陛下訪欧の際に英国も模索したが、日英両国の日程が合わず、翌94年の訪英を検討。
 日本側が10月10~12日を打診したのに対し、英国側は難しいとして、10月後半か11月を提案した。日本側は、その日程では無理なので94年の訪問先はフランスの方向で検討を始めたと答えた。同年10月、両陛下はフランスやスペインを訪問している。

 外相秘書は「天皇の訪問先に英国が含まれないのは残念だ。日英は欧州の他国よりも確実によい関係にあるのに、誤った合図を送ることになろう。日程は早くとも96年以降になる」と落胆した様子を伝えている。

 実現に向け調整に奔走した元外交官らが、舞台裏を語った。

 1998年5月26日昼過ぎ、ロンドン中心部の大通り「ザ・マル」。英国を公式訪問した天皇、皇后両陛下は、エリザベス英女王夫妻と馬車でバッキンガム宮殿までパレードした。

 日英両国の旗を振り歓迎する約2万人ともみられる人波の中に、第2次世界大戦中に日本軍に抑留され強制労働をさせられたと被害を訴える元捕虜ら数百人がいた。ブーイングをしながら次々と馬車列に背を向け、抗議の意を表した。日の丸を燃やす人もいた。

 宮内庁式部官長として随行した苅田吉夫さん(82)は両陛下に続く馬車から元捕虜らの背中を見つめていた。歓迎する人々の声と馬の足音にかき消され、抗議の声はほとんど聞き取れない。両陛下がウェストミンスター寺院の無名戦士の墓で供花した際も、寺院の外で元捕虜らが「天皇は来るな」などと叫んだ。

 苅田さんは「抗議はあったが、ごく一部。むしろ、日ごとに歓迎ムードが高まった。両陛下は平常心で、いつもと変わらない態度でした」と振り返る。

 今年7月に英公文書館が公開した英政府の外交文書によると、訪英は即位後間もない91年ごろには日英両国間で検討が始まっていた。沼田貞昭さん(75)が駐英日本公使に着任した94年には「近い将来の訪英があると見当がついていた」といい、「在任中の仕事の半分を戦後和解の問題に費やした」と明かす。

 翌年の「戦後50年」に向け、元捕虜らが日本に謝罪や補償を求める抗議行動や報道が盛り上がった。英政府は欧州戦線戦勝記念日である95年5月の式典に旧敵国のドイツやイタリアの首脳も招いた。しかし日本が降伏した対日戦勝記念日にあたる8月の式典に日本の要人は招かれなかった。

 沼田さんは97年までの公使在任中に日本関係のさまざまな取材を計126回受け、英国世論の厳しさを肌で感じていた。同時期に駐英日本大使に着任した藤井宏昭さん(85)は東京の外務省本省に「節目となる95年8月には、首相からきちんとした態度の表明を。単純明快な謝罪が望ましい」などと意見具申をした。

 英外務省の担当局長だったデービッド・ライトさん(74)も「日本との関係を深めるため両陛下の訪問を成功させたい」と望んでいた。「日本企業の投資を進めるうえで、捕虜問題が妨げになることは避けたい。日本の首相による公式謝罪が英国社会にきちんと伝わることが重要だ」と考え、日本側と協議を重ねた。

 村山富市首相は95年8月15日、「村山談話」を発表。「わが国は、植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました」とし、「痛切な反省の意」と「心からのおわび」を述べた。

 談話発表翌日、藤井さんと沼田さんは英国のテレビに相次いで出演。村山談話は政府の正式な立場表明で、英国人元捕虜も対象と首相が明言したと強調した。「談話報道後、英メディアの反応は沈静化した」と沼田さんは振り返る。

 ■「両陛下の姿に癒やされた」

 98年の訪英では抗議行動があった一方、抗議の動きを批判する投書が新聞に掲載されもした。

 両陛下訪英当時の駐英公使だった河野雅治さん(69)は、90年代前半までカンボジア和平にかかわった。「和平は外交や政治の世界で決着できるが、和解は心の問題なので一朝一夕に達成できない。元捕虜たちは、決して過去を忘れたり水に流したりはしないが、両陛下の姿を見て癒やされたと語った人もいた」

 長年、日本との交流にかかわった元駐日英国大使ヒュー・コータッツィさんは今年8月に94歳で亡くなる約1カ月前、こう語った。「今の天皇には戦争に直接の責任はない。しかし国民の間に感情のわだかまりがあるなら、国民とともに和解に取り組むことは、天皇のあるべき姿ではないか」(編集委員・北野隆一)

 ■5年必要だった

 細川護熙元首相の話 メージャー首相(当時)は大人の対応をしてくれ、歴史認識の問題も話しやすかった。英王室と皇室とは関係が深く、陛下のご訪問も落ち着いた環境で進める必要があった。93年の首脳会談から実際の訪英までに5年かかったが、「熱」が冷めるのに一定の期間が必要だったということではないか。
2018.10.14 Sun l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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