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小泉首相の時は靖国参拝で日中関係は悪かった。
小泉氏の中国への手紙を読むと彼の気持ちはよく理解できる。
原発ゼロへの活動を継続して続ける彼の姿勢にも通づる率直な気持ちが伝わってくる。
そんな箇所を抜き書きする。
小泉純一郎が私に託した中国への手紙
小泉首相は2001年、盧溝橋の人民抗日戦争記念館を訪れた。
朝日新聞 2018年10月21日 冨名腰隆 朝日新聞記者 中国総局員

 「私は本来、日中友好論者なんだけどね。でも靖国参拝もあって、そこが伝わらなかった。これは中国への手紙のようなものだ。持っておいてくれ」

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 2001年10月、北京へ向かった小泉首相は、空港に到着すると、日中戦争の起点となった盧溝橋、そして隣接する人民抗日戦争記念館へと向かった。

 視察を終えた小泉氏はマイクを握り、原稿も読まずにこう語っている。

「改めて戦争の悲惨さを痛感しました。侵略によって犠牲になった中国の人々に対し心からのおわびと哀悼の気持ちをもって、いろいろな展示を見させていただきました。二度と戦争を起こしてはならないと、そういうことが戦争の惨禍によって倒れていった人の気持ちに応えることではないか、私どももそういう気持ちでこの日中関係を日中だけの友好平和のためではなく、アジアの平和、また世界の平和のためにも日中関係は大変大事な二国間関係だと思っています」

「盧溝橋に行くことに特段の迷いはなかった。歴史は好きだし、一度は見たいという思いもあった。日本に戦争責任はある。ないなんて、昔も今も言うつもりはない」
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福田元首相は南京大虐殺記念館を訪れた
  福田康夫元首相は、小泉政権の官房長官として私的懇談会を設置し、無宗教の国立追悼施設の必要性に関する提言をまとめた。 その福田氏は、小泉氏の歴史認識を「極めて常識的」と評する。

「靖国参拝で苦労させられたことはあったが、戦争への評価などは何ら食い違いもなければ、おかしな点もない。疑問を感じたことは一度もない」

 小泉氏、安倍氏に続いて首相になった福田氏も今年6月、元首相として南京大虐殺記念館を訪問した。同館が昨年末にリニューアルされ、写真や記録を重視する実証的な展示が増えたこと受け、中国側の意思を評価したい思いがあったと明かす。
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 私は長らく政治部記者として、永田町や霞が関を駆け回る日々を送ってきたのだが、振り出しは小泉氏の首相番記者だった。小泉内閣は5年半も続いた長期政権だ。番記者と名乗るのは、おそらく100人以上はいる。当時の私はワンオブゼムに過ぎない。
 個別に会って話ができるようになったのは、小泉氏が政界引退後、脱原発の運動に取り組むようになってからだ。2015年9月、首相退任後初めてとなるインタビューを行い、翌年には小泉氏の脱原発に懸ける思いや一連の活動を同僚記者と共に書籍化した。
 「脱原発の最新情報でも話したくなったのだろうか」。そんなことを思いつつ、私は一時帰国を利用して小泉氏に会った。



靖国参拝のこと
 紙には「小泉純一郎講演記録 靖国神社参拝についての部分」とあった。首相退任から1年も経たない2007年7月23日に鹿児島市内のホテルで語ったものだ。その「手紙」を、私はその場で一気に読み上げた。やや長いが引用する。

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 私は読書が好きで、特に歴史・時代小説好きですが、もし今まで読んだ本の中で最も感銘を受けた本、感動した本を一冊挙げろといわれれば、海軍飛行予備学生の遺稿集(第十四期会編)「ああ同期の桜 かえらざる青春の手記」です。
 この本を学生時代に読んで強烈な印象、深い感銘を受けたんです。
 あの本を私は涙ながらに読んで、今までの自分の生活を振り返ると恥ずかしい思いをしました。もし私があの時代に生まれて、同じ年頃だったら当然、戦争に行きたくなくても、行かざるをえない状況にあったと思います。そのような時にあの若人のような立派な態度を私は果たしてとれるだろうか。あの本を読んでから、愚痴をこぼしたり不平・不満を言うのは恥ずかしいと思うようになりました。以来、何か苦しいことがあると、あの特攻隊員の気持ちを思い、現在の苦しい状況と、どちらがいいか考えるんです。
 いざ、死ぬために飛び立たなければならなかった特攻隊員の気持ちを思うんです。
 もっと生きていたかったでしょう。やりたいこともたくさんあったでしょう。
 そのような思いを捨てて、家族と別れ、祖国のために命を投げ出さねばならなかった特攻隊員の気持ちと比べたら今の苦労なんかなんでもないじゃないかと自分に言い聞かせながら私も頑張ってきたつもりです。
 知覧特攻平和会館を訪れて、当時の特攻隊員の写真や遺書をみて何も感じずに立ち去る人はいないでしょう。
 現在の日本の平和と繁栄は今生きている人だけで築かれたものではなく、尊い命を投げ出さなければならなかった人たちの犠牲の上に成り立っているものだということを我々は忘れてはならない。
 二度と戦争をしてはいけないという気持ちで、今まで靖国神社に参拝してきました。
 特定の人に対して靖国神社に参拝しているわけではありません。
 心ならずも家族と別れて命を捨てなければならなかった、多くの戦没者の方々に敬意と感謝の誠を捧げ、哀悼の意を表すために靖国神社に参拝しているのであります。
 私は日中友好論者であります。
 中国政府は、将来いつかきっと後悔するでしょう。
 友好国の日本国首相、しかも民主的に選ばれた首相に対して、靖国神社に参拝するかしないかを条件に首脳会談を行うか行わないか考えると言ってきた。
 私は首脳会談を拒否されても閣僚諸君は大いに中国との交流を進めてほしいと指示してきました。
 経済界も一般国民も交流を拡大し、ますます中国との友好関係を発展させるべきだと考えるからです。
 私を支援し協力してくれる国会議員や経済界の人の中にも私が総理大臣在任中は靖国参拝はするなと忠告してくれた人もいました。
 しかし私は靖国参拝の考えを説明し、もし本当に多くの国民が私の靖国参拝をいけないと批判するなら、そのような国民の総理大臣になっていたいとは思わないと言ったんです。
 ブッシュ大統領との会談の際、中国問題が話題になった時にこういう話がありました。
 小泉は中国や韓国の首脳が靖国参拝するなといっても言うことをきかないが、ブッシュ大統領が靖国参拝するなと言えば、小泉は言うことをきくだろうと思っている日本国民がいる。
 しかし私は、ブッシュ大統領、あなたが靖国神社参拝するなと言っても、私は必ず毎年参拝すると言ったらブッシュ大統領は「オレはそんなこといわない」と笑っていましたよ。
 中国政府、韓国政府も将来、日本の首相に対して「なんと大人げない、恥ずかしいことをしたんだろう」と後悔する時がくると思いますが、これから中国や韓国との関係は、ますます重要になってきます。
 様々な分野で交流を拡大し、友好関係を発展させていかなければなりません。
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「A級戦犯に向けた参拝ではない」とより強く訴えるべきだった
 小泉氏が続けた靖国神社参拝は、結果として日中関係を停滞させ、「政冷経熱」と言われる長く厳しい時代を作り出した。

 私は2005年10月の参拝を現地で取材したが、「よくやった」「ふざけるな」などと境内を取り囲む人々の賛否の声が飛び交う中、首相が数十人のSPに厳重に警備されながら神門から拝殿を歩く姿は、まさに異様な光景だった。

 一方で、小泉氏が現役時から明言してきたことがある。手紙にもあった「特定の人に参拝していない」という思いだ。この点を強調するのは、外交に絡むポイントであるからだろう。

 靖国神社参拝について中国や韓国が長らく問題にしてきたのは、一般兵士ではなく戦争指導者への追悼だった。A級戦犯が合祀された靖国神社を、日本国のトップである首相が参拝することは認められないと主張してきた。

「戦争指導者の責任を小泉さんは認めている。参拝はA級戦犯に向けたものではないと、より強く訴えるべきだったのではないか」

 私が問うと、小泉氏は短く答えた。

「そういう思いを強く言ってきたつもりだけどね」

 私はふと、あることを思い出して聞いてみたくなった。

「そう言えば、首相時代になぜ盧溝橋や抗日戦争記念館へ行ったのですか?」

盧溝橋へ行った小泉氏の背後に、安倍氏はいた
 2001年10月、北京へ向かった小泉首相は、空港に到着すると、日中戦争の起点となった盧溝橋、そして隣接する人民抗日戦争記念館へと向かった。

 視察を終えた小泉氏はマイクを握り、原稿も読まずにこう語っている。

「改めて戦争の悲惨さを痛感しました。侵略によって犠牲になった中国の人々に対し心からのおわびと哀悼の気持ちをもって、いろいろな展示を見させていただきました。二度と戦争を起こしてはならないと、そういうことが戦争の惨禍によって倒れていった人の気持ちに応えることではないか、私どももそういう気持ちでこの日中関係を日中だけの友好平和のためではなく、アジアの平和、また世界の平和のためにも日中関係は大変大事な二国間関係だと思っています」

 冷酒でほろ酔いになりつつ、小泉氏は当時の思いを回想した。

「盧溝橋に行くことに特段の迷いはなかった。歴史は好きだし、一度は見たいという思いもあった。日本に戦争責任はある。ないなんて、昔も今も言うつもりはない」

福田元首相は南京大虐殺記念館を訪れた
 2005年8月15日、戦後60年にあたり小泉氏が首相談話を閣議決定したことは、ほとんど知られていない。

 郵政解散直後で注目されなかったためだが、戦後50年の村山談話をほぼ踏襲した内容だったこともある。一方、「侵略」や「おわび」の用語だけを残して、文脈を全面的に書き改めたのが、戦後70年の安倍談話だった。

 福田康夫元首相は、小泉政権の官房長官として私的懇談会を設置し、無宗教の国立追悼施設の必要性に関する提言をまとめた。

 その福田氏は、小泉氏の歴史認識を「極めて常識的」と評する。

「靖国参拝で苦労させられたことはあったが、戦争への評価などは何ら食い違いもなければ、おかしな点もない。疑問を感じたことは一度もない」

 小泉氏、安倍氏に続いて首相になった福田氏も今年6月、元首相として南京大虐殺記念館を訪問した。同館が昨年末にリニューアルされ、写真や記録を重視する実証的な展示が増えたこと受け、中国側の意思を評価したい思いがあったと明かす。

 気がかりなのは、そうした領域に踏み込まなくなった現在の安倍首相の姿勢だ。ある政権幹部はこう説く。

「戦後レジームからの脱却などと叫んでいたのが、1回目の安倍政権の失敗だ。歴史など語る必要はない。経済政策をうまく回せば政権は長続きする」

過去に目を背けて得られる成果には限りがある
 だが、過去に目を向けず、沈黙を続けて得られる成果には限りがある。何より、それは本来の意味での信頼醸成ではなく、相手の痛みに心することにもならない。

 首相時代に靖国神社参拝を続けたが、今なお私に「手紙」を託し、真意の伝達を望む小泉氏の方がよほど実直に思える。

 今や首相在職日数で小泉氏を抜き、憲政史上最長も見据える安倍首相だ。長期政権が外交上の利点と言うのなら、日中関係を「新たな時代へ引き上げる」と意気込むのなら、堂々と歴史を語り、正面から中国との和解を勝ち得てほしい。

 習氏と向き合った安倍首相が何を語るのか、じっくりと耳を傾けたい。

安倍訪中、見送られた「地方視察」
 安倍晋三首相が、中国を公式訪問する。10月25~27日の日程で北京を訪れ、習近平国家主席や李克強首相と会談し、日中平和友好条約発効40周年を記念するレセプションに出席する予定だ。
 7年ぶりとなる日本の首相の公式訪問は、長く寒風が吹き込んでいた日中関係が改善に向けて本格的に動き始めたことを意味する。

今回の訪中で、安倍首相は北京以外にも地方視察を検討していたことは関係者の間では広く知られている。
「南京訪問は?」「そりゃ無理です」
 安倍首相が中国の地方視察には行かないという今回の発表に触れ、私は今年の夏、北京から東京に一時帰国した際に日本政府高官と交わしたやりとりを思い出した。

 日本の首相が中国の地方を訪ねるとしたらどこがふさわしいかというたわいもない話題だったが、「旧満州や南京を訪れるのも悪くないのでは。国際社会の評価は高まる」という私の提案を、日本政府高官は「冗談でしょう。そりゃ無理です」と一笑に付したのだった。

 安倍首相の政治基盤を考えれば旧満州や南京を訪問するのは難しいということだが、果たしてそうだろうか。

 2016年末、安倍首相はオバマ米大統領と真珠湾訪問を果たしている。2015年には日韓の間の「トゲ」である慰安婦問題の決着にも動いた。私がそう投げかけると、日本政府高官は「第2次世界大戦後に同盟関係にまで至った日米と、政治制度や人権といった基本的な価値観で相いれない日中では全然違う」と反論した。

 いずれにせよ、現在の日本政府にはまったく想定にないことだけは彼の反応からはっきりした。

過去に目を背けて得られる成果には限りがある
 だが、過去に目を向けず、沈黙を続けて得られる成果には限りがある。何より、それは本来の意味での信頼醸成ではなく、相手の痛みに心することにもならない。

 首相時代に靖国神社参拝を続けたが、今なお私に「手紙」を託し、真意の伝達を望む小泉氏の方がよほど実直に思える。

 今や首相在職日数で小泉氏を抜き、憲政史上最長も見据える安倍首相だ。長期政権が外交上の利点と言うのなら、日中関係を「新たな時代へ引き上げる」と意気込むのなら、堂々と歴史を語り、正面から中国との和解を勝ち得てほしい。

 習氏と向き合った安倍首相が何を語るのか、じっくりと耳を傾けたい。
2018.10.24 Wed l 歴史認識・外交 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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