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天皇の旅:3 満蒙開拓、向き合う決意
朝日新聞 2019年05月09日
満蒙開拓憲法を守りの平成から
憲法に則りの令和へ
ああ、天皇が全身全霊で平和、民主主義を守ってこられた
有権者の能天気で忘れ去ろうとしているなかで・・・
その時代は終わった、もう助けてくれないと、当たり前のことに思いいたりました。
天皇という立場を離れても、類まれな叡智で象徴を模索し実践されて方は、任を離れられた。

日本の歴史に中の満蒙開拓、岸信介氏が中心になって推し進め、新天地を求めて多くの家族、若者が満州を目指した。
天皇の旅を転載
 2016年11月、長野県阿智村の「満蒙開拓平和記念館」に天皇、皇后両陛下(今の上皇ご夫妻)が「私的旅行」で訪れた。

 満蒙開拓民は戦前や戦中に旧満州(現中国東北部)に移り住み、敗戦後に日本に引き揚げた。寺沢秀文副館長(65)=現在は館長=は13年4月の開館後間もないころ、両陛下が関心を持っているらしいと聞いた。16年7月ごろ、県を通じ訪問の打診を受けたときは驚きつつも納得した。

 満蒙開拓は国策で進められ、開拓団の多くは、現地の中国人農民から半ば強制的に取り上げた土地に入植した。敗戦時は軍の大部分が先に南下。開拓民は国境地帯に置き去りにされて旧ソ連軍の進攻にさらされ、集団自決や中国残留孤児などの悲劇も生まれた。

 寺沢さんの両親は元開拓民だ。父は戦後、シベリア抑留を経て帰国。日本で再入植した。寺沢さんは父からこう聞いた。「開墾しようと満州に着いたら、すでに家も畑もあり、元々は中国の人のものだと知った。戦後、日本で本当の開墾の苦労をする中で、自分たちの大切な農地や家を日本人に奪われた中国農民の悔しさがわかった。あれは日本の間違いだった」
 両陛下は元開拓民を気にかけ、長野県軽井沢町の大日向開拓地などの再入植地をたびたび訪れてきた。満蒙開拓の歴史に触れられたくないという人もいる中で来館が決まったことに、寺沢さんは「不都合な歴史に懸命に向き合おうという陛下の強い意思」を感じた。

 11月17日、寺沢さんは館内を案内し、開拓団が国内各地から送り出された背景を説明。陛下が「国内の農村の疲弊も背景だったんでしょうね」と言ってうなずいた。長野県の旧大日向村からの開拓団について書かれた雑誌記事を見た皇后さまが「何人ぐらいの方が大日向から分村して行かれたのですか」と尋ねた。寺沢さんは両陛下の知識の深さを感じた。

 続いて、語り部3人の体験談を聞いた。久保田諫(いさむ)さん(88)は日本の降伏後、追い詰められた開拓民が集団自決した際、ただ一人生き残った凄惨(せいさん)な経験を語った。天皇陛下はこう語った。「こういう歴史があったことを、経験がない人たちに伝えることが大切だと思います。そういうことを経て今の日本が作られたわけですから」

     *

 「満蒙開拓は正しかった」「当時は仕方がなかった」という人もいる。一方、戦争が天皇の名の下に行われ、「お国のため」と入植した開拓民が置き去りにされて多数が犠牲になったことから、複雑な感情を抱く人も少数ながらいた。だが両陛下の訪問後、三沢亜紀・同館事務局長(52)が聞いたのは「私たちは忘れられていなかった」と喜ぶ声だった。訪問翌年の来館者は前年の6割も増えた。

 「両陛下は、多くの国民に満蒙開拓の閉ざされた歴史に向き合ってほしいと願って来館されたのではないか」と寺沢さん。「ただ、話題になったほど歴史への理解が深まったとはいえない。先に事実を知った者の責任として、今後も語り継いでいきたい」と気持ちを新たにした。(北野隆一)


2019.05.10 Fri l 未分類 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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