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 チェルノブイリ原発事故でもっとも放射性降下物(フォールアウト)を被った国は、ベラルーシとウクライナだといわれている。この2カ国は現在急激な人口減少に直面している。
ウクライナとベラルーシの人口変動、激増する死亡と激減する出生 人口統計
ウクライナとベラルーシの人口変動、激増する死亡と激減する出生 人口統計② より

ウクライナ人口の自然増減
 特徴的には、 生児出生(新生児数)が確実に減っており、死亡者数が確実に増えている。生児出生は、1950年代、ほぼ年間80万人台だった。60年代になると、70万人台に落ちるのだが、ほぼ80年代これを維持している。それがドラスティックに下がるのは、90年代に入ってから、ちょうど1986年のチェルノブイリ事故から4-5年たってからである。60万人台、50万人台、40万人台、30万人台とちょうど坂を転げ落ちるように減り続け、2001年には過去最低の約37万6000人となった。その後、何故か回復を見せ始め、2000年代の終わり頃には50万人に戻りつつある。

 死亡者は出生とちょうど逆の軌跡をたどっている。チェルノブイリ事故の1986年には、56万5000人だった年間死亡者数は、90年代に入ると劇的に増え始め、ピークの1995年には80万人に達しようとしていた。その後増勢は一応止まり、2009年からは減少に転じはじめたといっていいだろう。

 こうした趨勢をグラフにすると表Ⅱ「ウクライナ人口の自然増減」のようになる。
ウクライナ人口1

ベラルーシの場合
ベラルーシ人口

ウクライナとベラルーシ、原発事故をはさんで、事故後8年目から人口が急減している。
ウクライナベラルーシ人口
 ベラルーシで異変が起こるのは、やはりウクライナ同様チェルノブイリ事故8年後の1994年で、この年はじめて対前年比-0.13%と人口が減少した。ベラルーシで人口が減少するのは、確実な統計が存在する1960年以降はじめてのことである。ただし、その徴候はすでに事故翌年の1987年にはあらわれていた。

 というのは、それまでほぼ、+0.5%以上の対前年人口増加を見せていたベラルーシは、事故翌々年の88年には+0.33%増加と増加の勢いが鈍ったからである。89年は+0.27%、独立宣言を行った90年には+0.19%、ソ連が崩壊しベラルーシの独立が承認された91年には+0.04%、その翌年の92年、次の93年にはそれぞれ+0.23%と回復したかに見えたが、前述のように94年に人口成長マイナスに突入し、その後一度も人口増をみせていない。

 この原因は主として「出産の激減」と「死亡の激増」のダブルパンチを受けたものだ。ベラルーシの「出産」は、1960年代に入ると下降局面に入り1969年には年間14万2652人と底を迎える。1970年代からは上昇局面に転じ、事故の起きた86年までには16万人から17万人台にまで回復していた。
2019.08.13 Tue l チェルノブイリ放射線障害 l コメント (0) トラックバック (0) l top

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