FC2ブログ
 核兵器が増え続けた米ソ冷戦期に初めて核削減へ道筋を付け、冷戦終結にも導いたミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(88)が、核兵器に「歯止め」をかける米ロの合意が相次ぎ消える中、新たな軍備競争への懸念を示し、核なき世界へ向けた動きを復活させなければならないと警告した。「核戦争は許されない。そこに勝者はない」と繰り返した。
あのゴルバチョフ氏が今このように語る、この人が世界をぐるっと回したんだ。そして今は・・・・

核軍縮へ「米ロは対話再開を」 ゴルバチョフ氏、朝日新聞と会見
ゴルビーの言葉、今こそ 元ソ連大統領、ミハイル・ゴルバチョフさん
2019年12月17日 朝日新聞より転載
 核兵器が増え続けた米ソ冷戦期に初めて核削減へ道筋を付け、冷戦終結にも導いたミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(88)が今月、モスクワで朝日新聞記者と単独会見した。核兵器に「歯止め」をかける米ロの合意が相次ぎ消える中、新たな軍備競争への懸念を示し、核なき世界へ向けた動きを復活させなければならないと警告した。「核戦争は許されない。そこに勝者はない」と繰り返した。

 来年は広島・長崎の被爆75年、核不拡散条約(NPT)の発効50年を迎え、世界の核状況にとって節目の年となる。同氏がブッシュ(父)米大統領と冷戦終結を宣言したマルタ会談から30年となる今月3日、インタビューに応じた。
 1987年に署名した中距離核戦力(INF)全廃条約がこの夏、米国の脱退で失効したことについて、「時流を逆行させる恐れがある」と指摘。2002年に米国が弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から脱退した動きや、オバマ大統領時代に米ロが締結した新戦略兵器削減条約(新START)の延長に米国が否定的なことに触れ、戦略的安定のための三つの柱が失われる事態は大きな危機だと警鐘を鳴らした。

 トランプ政権は小型核弾頭など「使える核」の開発を表明し、ロシアの違反を理由にINF条約を脱退後、中距離ミサイルの発射実験を実施。ロシアも対抗姿勢を見せている。こうした状況に、「米ロがまず、対話を再開すべきだ」と主張。「世界の核戦力の90%を持つ核大国は、核廃絶に動くということを世界の世論に請け負わなくてはならない」とした。

 核抑止力も明確に否定。「総じて世界を守らない。むしろ世界を脅威にさらし続ける」と強調した。

 日本については、「核兵器とは何かを体験した初めての国だ。日本の役割、日本の言葉は重い」と語り、米ロの対話再開への後押しに期待感を示した。

 同氏は85年にソ連共産党書記長に就任し、ペレストロイカ(改革)を提唱。90年に初代大統領に就任し、同年のノーベル平和賞を受賞。91年末のソ連崩壊で大統領を辞任した。現在、ゴルバチョフ財団の総裁を務める。

核軍縮、冷戦時代の先例 来年被爆75年、
ゴルバチョフ氏の手前は、1992年4月に広島の原爆ドーム前でライサ夫人と撮影した写真=モスクワ、飯塚悟撮影

写真・図版
 この瞬間も人類は核兵器の脅威にさらされている。すべては1945年8月、米国による広島・長崎への原爆投下から始まった。来年は被爆75年。核兵器は今もなくならない。でも、増え続ける核を国際協調によって減らした先例はある。冷戦のさなかの核軍縮はなぜ可能だったのか。それが、ゴルバチョフ元ソ連大統領を訪ねた理由だった。

 インタビューでゴルバチョフ氏が少し言葉を荒らげる場面があった。現職のトランプ米大統領に触れた時だ。自ら手がけた中距離核戦力(INF)全廃条約を葬り去った張本人だからだろうか、「激しい表現を使ってすまない」と断ったうえで、「くそ!」と口にした。オバマ時代の軍事ドクトリンを見直したトランプ政権の指向は、協調と相互協力を貫いたゴルバチョフ氏と正反対である。

 今年8月6日の広島原爆の日。広島市の松井一実市長は「広島平和宣言」の中で、世界の政治指導者にこんなメッセージを送った。

 《かつて核競争が激化し緊張状態が高まった際に、米ソの両核大国の間で「理性」の発露と対話によって、核軍縮に舵(かじ)を切った勇気ある先輩がいたということを思い起こしていただきたい》

 米ソ首脳が87年に署名したINF全廃条約が、米国の脱退でその4日前に失効したばかりだった。ゴルバチョフ氏とレーガン米大統領が苦労の末にたどり着き、初めて人類が核削減の流れへと転じ、冷戦終結にもつながったこの条約は、この2人の「先輩」が「核戦争は許されない。そこに勝者はいない」という理念を形にしたものだった。

 平和宣言のことを伝えると、ゴルバチョフ氏は「私は手本になり得るだろうし、そうありたい。その視点を共有する」と述べた。

 核戦争の脅威が全世界を覆っていた冷戦時代。ゴルバチョフ氏が85年にソ連共産党書記長に就任するまで、米ソ首脳会談は6年の空白があった。イニシアチブをとったのは、新思考外交を展開した彼だった。

 その原動力は何か。インタビューで、自らの青年時代を振り返った。党青年組織コムソモール活動の一環で、核爆発の映像を見せられた記憶だ。この時の衝撃が、「平和のために闘うしか道はない」との自覚を芽生えさせた。対米関係を正常化して軍備競争をやめなければ、との思考のベースにもなったのだろう。

 それだけではない。彼はふと「いつもケネディを思い出している。いつも」と言った。核戦争の瀬戸際まで行った62年のキューバ危機を回避したジョン・F・ケネディ米大統領のことだ。

 ゴルバチョフ氏は自著の中で、ケネディ氏が63年6月にアメリカン大学(米・ワシントンDC)で行った演説に感銘を受けたと書いている。「私の言う平和はどんな平和か。それはアメリカの兵器によって世界に強いるパックス・アメリカーナではない。アメリカ人だけでなく、すべての人々のためであり、今日だけでなく明日のための平和なのだ」と述べた演説だ。

 ケネディ氏は「ソ連への我々の態度を再検討しよう」とも述べた。その半年後、彼は暗殺された。

 核軍縮も冷戦終結も、彼一人では成し得なかった。米国内の抵抗勢力を抑えたレーガン氏やブッシュ(父)米大統領が必要だった。

 核廃絶に向かうには、世界の9割を保有する米ロの政治指導者がまず動かなければならない。中国によって事態が複雑化しているのは確かだが、米ロが動かないと一歩も進まないのが現実だ。

 政治家も専門家も、「安全保障上の現実」という言葉で出来ない理由を並べ立てるのではなく、どうすれば米ロが交渉できるかについて知恵を絞ったらどうだろう。

 それは、「第二のゴルバチョフを生み出すための環境づくり」と言えるかもしれない。

 現状追認ではなく、理想から出発して局面を変えた指導者がいた。その前例がここにある。この現実を直視してほしい。これこそリアルな現実である。(編集委員・副島英樹)

 ■発効50年、NPT体制に危機

 米ソ冷戦のはざまで核戦争の恐怖を痛感したメキシコやオーストリアなどの非核保有国が中心になり、2017年に核兵器の製造や使用、核を使った脅しなどを禁じた核兵器禁止条約が122カ国の賛成で採択された。これまでにバチカンやタイ、南アフリカなど34カ国が批准を済ませている。50カ国が批准した90日後に、条約は発効する。

 日本政府は、核保有国が参加しない条約は無意味で、核保有国と非核保有国の分断を進めるものだとして条約交渉そのものをボイコットした。それでも、唯一の戦争被爆国として、核保有国と非核保有国の「橋渡し役」を務めようと、国内外の有識者らによる「賢人会議」を立ち上げ、約2年にわたり議論。だが、国家の存立が危機にさらされた状況での核兵器使用は可能かという「困難な問題」をめぐり、委員らの意見をまとめきれなかった。

 来年に発効50年を迎える核不拡散条約(NPT)は、米、ロ、英、仏、中の五つの核保有国が誠実に核軍縮交渉することを条件に、その他の加盟国の核兵器保有を禁じた。米ロが中距離核戦力(INF)全廃条約という「歯止め」を失った現状は、NPT体制をも危機にさらしている。

 「自国第一」を掲げて、低出力の「使える核兵器」開発を進めるトランプ米大統領は昨年10月、INF全廃条約からの脱退を一方的に表明。今年8月に同条約は失効し、ロシア側も極超音速ミサイル開発などの対抗措置をとる。また、トランプ政権はロシアのプーチン大統領が求める新START(21年期限)の延長にも応じる気配がない。

 これに似た光景を過去にも見た。「単独行動主義」を掲げてミサイル防衛や「小型核」開発を進めようとしたブッシュ(子)米政権が、01年にロシアとの弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約から一方的に脱退表明した際だ。それは、00年当時のクリントン米政権がNPT再検討会議で核兵器廃絶への「明確な約束」に合意した前向きの機運を台無しにした。

 米ロが核兵器依存に回帰して「死に体」化が進むNPT。その弱点を補強し、新たな核保有国の出現に対する強い抑制力となるのが核禁条約だ。

 核禁条約とNPT。核軍縮に向けて相乗効果を発揮させられるのか。国際社会は、冷戦期の「核抑止論」を抜け出せるかどうかが問われている。

核軍縮へ「米ロは対話再開を」 ゴルバチョフ氏
 若い世代にとっては、もはや歴史上の人物かもしれない。「ゴルビー」の愛称で親しまれたミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(88)。米ソ冷戦のさなか、夢想とも思われた核軍縮を実現し、冷戦終結をも導いた。核のたがが外れ、協調や相互協力を忘れたような力の政治が世界を覆う。彼の言葉を今、聴きたい。

 ――自ら手がけた中距離核戦力(INF)全廃条約は核削減への第一歩でした。射程500~5500キロのミサイルをなくすこの条約の失効をどう思いますか。

 「条約の理念を思い起こしてほしい。ジュネーブでの最初の米ソ首脳会談(1985年)の共同声明に反映されています。『核戦争は許されない、そこに勝者はありえない』と。核兵器から解放される。これは今も私の祈りです」

 「この条約に続いて米ソ両国は核依存を減らす方向へと、軍事ドクトリンを見直しました。冷戦のピーク時と比べ核保有量は80%以上減った。東欧も西欧も軍事力を削減しました。冷戦終結の結果、みんなが手にした『平和の配当』だったのです」

 ――歯止めがなくなっていきます。今後の影響をどう見ますか。

 「時代の流れを逆転させる恐れがあります。米国は包括的核実験禁止条約(CTBT)の批准を拒否し、2002年には米国の一方的な脱退で弾道弾迎撃ミサイル(ABM)制限条約が失効しました。重要な柱の条約のうち、いま残っているのは新戦略兵器削減条約(新START)のみ。その運命も先行き不透明です」

 「脱退の背景には、軍事的な制約から自由になり、絶対的な軍事的優位を狙う米国の意志があります。だが、今の世界で一国による覇権はありえない。これは虚妄の目標であり、願望です。安全保障環境が不安定になれば、新たな軍備拡張競争により、世界政治が無秩序と予見不可能性にさらされます。米国を含めすべての国の安全が損なわれるでしょう」

    ■    ■

 ――米国に言いたいことは。

 「現職の米大統領が『我々は最も豊かで、どこよりも金がある。だから軍事化を進める』と発言しています。米国はいったい誰と戦おうとしているのでしょうか。それはロシアでしょう。しかし核兵器の新しい競争の道に再び立つことは許されません。妄想を相手にするのはやめて、現実政治に取り組むべきです。我々に必要なのは平和であって、世界の終末ではありません」

 ――INF条約を結ぼうというきっかけは、86年のチェルノブイリ原発事故だと聞いています。

 「この事故は、わが国と世界の歴史にとって大きな節目となりました。ソ連が抱えた問題を露呈させ、原子力エネルギーと核兵器が持つ破壊的潜在力を思い出させました。原因究明と処理作業に力を注ぎましたが、多くの犠牲者なしではすみませんでした」

 「私の人生は二つに分けられます。チェルノブイリ事故までと、その後と、です。自力で被害をくい止めるのに必死でした。核兵器による被害の経験はありませんでしたが、この事故は、核兵器を何とかしなければと考えさせる教訓となりました」

 ――事故の翌月、レーガン米大統領に「どこか欧州の首都でも、あるいは広島でも」と、テレビ演説で会談を呼びかけました。アイスランドのレイキャビクに決まる前です。

 「2度目の広島を誰も望んではいけない、と思います。核戦力の90%を持つ超大国は、核廃絶に責任を持って取り組む――。それを世界の世論に請け負わなくてはならない。ロシアには今もその用意があります」

 ――核廃絶への思いをどのように示していますか。

 「核戦争は許しがたい。それを始められるのは理性のない人間だけです。国家のトップにとって欠かせない演習の時でさえ、私は核のボタンを一度も押さなかった」

 「私は最近、ノーベル平和賞の受賞者たちに書簡を送り、核大国の指導者たちに訴えるよう呼びかけました。核の削減と撤廃の交渉に戻るように、と。核抑止論に立って、『核兵器は戦争から世界を守る』と核をほめちぎる専門家がいます。でも、少なくとも一度は世界を自滅寸前にしました。62年のキューバ危機です。これを忘れてはなりません」

 ――まず何が必要ですか。

 「早急に米ロの対話を再開させることです。INF問題や新STARTの延長だけでなく、平和と安全の問題、核なき世界へ向けた動きを復活させることです。すべての核保有国は一歩を踏み出さねばなりません。核抑止力は、核兵器のエラーや核のテロから世界を守りません。むしろ世界を絶え間ない脅威にさらし続けます」

 ――現在の状況への助言は。

 「冷戦後に作られた国際安全保障の土台を生かすことが求められています。特に米国の共和党と民主党の国会議員たちに訴えたい。ここ数年の緊迫した政治状況が、核兵器の問題を含め米ロ両国の対話を妨げているのは残念です。政党間の対立を乗り越える時です」

 「米ロ関係を改めて動かす新しい理念が必要でしょう。少し前、レーガン時代の国務長官シュルツ氏と米ロの専門家による民間フォーラム創設を呼びかけました。両国政府への提案を作るのです。思考が軍事的になれば、国家の振る舞いも軍事化につながります。安全保障の問題解決の鍵は、兵器ではなく政治です。世界が軍拡や反目に転がらないよう、私たちは行動できると信じています」

    ■    ■

 ――核問題との出会いは。

 「共産党の青年組織コムソモールで働いていた時です。将校の建物にグループが集められ、核爆発や原爆のフィルムを見ました。とてつもない力に打ちのめされました。『爆発の方向を見てはいけない。湿ったシーツにくるまれ』との説明がありました。そんなこと言われても……。私は見終わった時、こう言いました。『残された道はただひとつ、平和のために闘わなければならない』と」

 ――日本の役割とは。

 「核兵器については、私は日本とともにあります。核の騒動は米国から始まりました。米国が最初に原爆を手にし、ソ連指導部に会談で『原爆を持った』と伝えました。米国をあがめるよう脅したのです。これは狂気の兵器への欲求です。米国は別の種類の核兵器を開発して『人道的』と言います。核にヒューマニズムなどあり得ません。日本の役割、日本の言葉はとても重い。ロシアも、核兵器を減らし、そこから自由になることに賛成です」

 ――当時は今以上の冷戦。よく米ソ首脳が合意できましたね。

 「レーガン大統領とはジュネーブで初会談しました。彼は断固として私に対抗し、私も彼に対抗した。彼を真のタカ派と考えていたからです。でも感謝しています」

 ――今年の広島平和宣言はその米ソ首脳に触れました。

 「私自身が手本になり得るだろうし、そうありたいと願っています。私の広島への思いは変わりません。どれだけの人が犠牲になり、破壊されたか。日本には道徳的な正当性がある。平和な都市への核攻撃を体験したからです。あなた方の声は、あらゆるところで耳を傾けられるのです」

    ■    ■

 ――マルタ会談30年の記念日が来たばかりです。振り返ってみて、冷戦終結とは。

 「ブッシュ(父)大統領とマルタで合意しました。会談の終わり近く、私が全世界に『アメリカを敵とはみなさない』との声明を出したいと言うと、彼は立ち上がってテーブル越しに私の手を握り、『我々も敵とはみなさない』と。大切なのは、戦争の脅威から解放されることだったのです」

 「ベルリンの壁はもうありません。冷戦に終止符を打たなければなりませんでした。東ドイツのデモ行進で人々は叫んでいました。『ゴルバチョフ、助けて』と。当時、ドイツ統一に英国、フランスは反対でした。再び大ドイツが誕生し、欧州に危険が増すとの理由からです。東ドイツ側もソ連軍を動かすことを期待していました。でも私は動かしませんでした。将来をドイツ人自らに決めてもらうためです」

 ――冷戦の勝者は西側ですか。

 「冷戦終結にはロシアも他の諸国も役割を果たしました。全国民の勝利、成果はみんなのものです。もし西側が勝利したと言うなら、それはそれで十分でしょう。誇張して言えば、彼らは今や世界の支配者だからです。しかし、みんなのパートナーであろうとしていますか。世界のリーダーはグローバルに協力しあう環境にあるでしょうか。軍拡を続けて他国を脅し、圧力をかけるつもりでしょうか」

 「人類の歴史から得た教訓は、今の国際社会で現実として残っています。モラルなしに、モラルある世界は打ち立てられないのです。平和そのものが最上のモラルです。だからこそ平和を維持していかなければなりません」
2019.12.18 Wed l 政治 l コメント (0) トラックバック (0) l top

コメント

コメントの投稿












トラックバック

トラックバック URL
http://natureflow1.blog.fc2.com/tb.php/619-08215898
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)